WBC世界バンタム級王座を10度防衛し、「絶対王者」と称された長谷川穂積が5年間保持したベルトを失ったのは2010年4月――。フェザー級に階級を上げて再起を期すも、ファン・カルロス・ブルゴス(メキシコ)とのタイトルマッチのわずか1ヶ月前に、長く闘病生活を送っていた最愛の母が逝く。そんな逆境すら乗り越え、長谷川は同年11月、WBC世界フェザー級チャンピオンとなった。しかし翌年の2011年4月、ジョニー・ゴンサレス(メキシコ)との初防衛戦で王座陥落。

 進退を決めかねるも、「もう一度、チャンピオンに」と、スーパーバンタム級への転向を決意。しかし、チャンスは巡ってこない。待つこと、3年......。ついに、その時が来た。4月23日、大阪城ホール。33歳の長谷川穂積(37戦33勝4敗15KO)は、IBF世界スーパーバンタム級のベルトを、そしてボクシング人生のすべてをかけて、王者キコ・マルチネス(スペイン/30勝4敗22KO)と拳を交える。

■グローブを置くのも、
そう遠くはない

―― 待ち焦がれた世界戦が、ついに決まりました。

長谷川穂積(以下、長谷川) 嬉しいですね。今年の春までに世界戦が実現しなければ、「引退」というリミットを自分の中で設定していたので。気持ちが切れるのが先か、試合が決まるのが先か......。ギリギリ間に合った感じです。ただ、IBF(国際ボクシング連盟)は最も避けたかった団体。他の団体にはない、当日計量がありますからね。でも、決まったからには、そこは割り切りました。

―― 引退すら脳裏をよぎったのは、33歳という年齢が関係していますか?

長谷川 そうですね。30歳を越えてから、すごく焦るようになって......。やっぱり、年齢の問題はデカい。20代ならいいでしょうけど、30歳になってからは1年、1年が大事。どうやって年齢とうまく付き合っていくかが、今も課題です。

―― それは、身体能力の低下を実感しているということですか?

長谷川 スピードが落ちたとか、そういうことは感じないです。ただ、疲れの取れにくさは、むちゃくちゃ実感しています。だからと言って、今までは、『この辛い練習に耐えるから、試合で勝てるんだ』と言い聞かせてやってきたわけで。しんどくてもやってきたことをやらなくなったら、それはサボりになるのか、オーバーワークにならないためのコンディション作りになるのか、その線引きが難しい。

―― 反対に、年齢を重ねたからこそ手にしたものはありますか?

長谷川 昔と比べて、「ボクシングをより知った」ということですね。ボクシングの奥深さが分かった。最初は何も知らずにこの世界に入ってきて、勝つことの難しさも、負けることの悔しさも、俺の場合はほとんど知らずにきました。今、それを知り、気持ちひとつでボクシングが良くも悪くもなることを学んだ。「チャンピオンになったら自信がついて強くなる」「チャンピオンが負けたら自信を失って弱くなる」って、よく言われるんです。その意味が、今はよく分かる。本当に気持ちひとつで、強くも弱くもなるから。まあ、歳を取ったんだなって、いろんな面で実感しますよ。最近は、涙もろかったりしますし。

―― 最近はどんなことで涙しましたか?

長谷川 ソチ五輪の浅田(真央)選手の演技ですね。選手はもちろん、誰もが金メダルを目指しますよね。でも、ソチ五輪を観て思ったんですけど、勝っても負けても、それこそメダルの色も、ある意味関係ないんじゃないかなって。どれだけの人に勇気や感動を与えられるのかが大事というか。そこに、メダルの色は関係ない。その人が、それまでに積み重ねて来たものが大事だと思う。そして、人に勇気や感動を与えられるってことが、アスリートとして一番幸せなことなんじゃないかなって。

―― なるほど。では、より深くボクシングを知った今、もっと好きになりましたか? それとも嫌いになりましたか?

長谷川 好きにもなりますし、嫌いにもなります。どっちもです。

―― 先ほど、引退すら視野に入れていたと言っていました。引退後のことも、すでに考え始めているのでしょうか?

長谷川 ボンヤリですけどね。グローブを置くのも、そう遠くはないですから。

―― 例えば、どんなビジョンがあるのでしょう?

長谷川 今は言えないです。でも、ボクサーとしてのビジョンも、人生としてのビジョンも、胸に抱いていることは多少あります。

―― では質問を変えて、キコ・マルチネスに勝った場合、何度防衛したいですか?

長谷川 それも、今は言えないです。

■試合後、勝っても負けても、
笑っていられたらいい

―― 今回の世界戦に向けて、現在のモチベーションは?

長谷川 この試合で自分を出し切りたい。それだけです。でも、この試合が今までの試合で一番、楽ですね。勝とうが、負けようが、俺はこの試合で自分を出し切れたらそれでいいので。

―― バンタム級、フェザー級、そして今回はスーパーバンタム級。3階級制覇をかけた試合になります。3階級制覇ということは、モチベーションにはなり得ないでしょうか?

長谷川 どうでもいいですね。全然関係ないです。勝っても、3つ目のベルトが入るというだけ。3階級制覇が、諸手(もろて)を上げて喜ぶほど嬉しいことだとは思わない。

―― それはなぜですか?

長谷川 フェザー級で防衛せずに負けているので。僕の中であれ(2010年11月のWBC世界フェザー級王座決定戦)は、ブルゴスに勝っただけ。周囲からは2階級制覇と言ってもらえますが、その後、防衛していないんでね。だから今回、勝ったとしても、胸を張って3階級制覇とは言えない。まあ、日本人的な考えなんかな、外国人選手ならそんなこと考えないだろうから。「3本ベルトを取ったんだから、3階級制覇だ」って。でも俺は、そうは考えられない。俺の中での問題です。だから次の試合は、3本目のベルトを獲りに行く試合。それ以上でも、以下でもない。

―― すべてを出し切りたいとのことですが、バンタム級から階級を上げた際、「不用意に打ち合ってしまうのが課題」と、多くの識者は指摘しています。それについて、どのように考えていますか?

長谷川 打ち合うのはボクシングの魅力ですし、俺の魅力でもあるのかなと。だから、あえてそこを殺す必要はないと思っています。もし、俺のボクシングを好きだと言ってくれる人がいるのなら、それは、人間味があるってことじゃないかと思っているので。試合中、打ち合うべきと判断したら、迷わず打ち合おうと思っています。

―― 内容的にはどんな試合をしたいですか?

長谷川 どんな試合になるかは、やってみなければ分からない。ただ、終わった時、勝っても負けても、笑っていられたらいいなと思います。

―― 極端な話、負けたとしても出し切ったと思えば笑えると?

長谷川 そうですね。

―― それは、今までにない発言のような気がしますが?

長谷川 ないですね。まあ、最後ですから。

―― 最後ですか?

長谷川 ひと言で言えば。さっき、この試合の先のことも、何度防衛したいかも、「言えない」って答えました。それは、終わってみないと分からないということです。試合が終わった時、判断すると思います。(ボクシングを)やめるのか。続けるのか。終わった時、自分の心に聞きます。

―― その決断に勝敗は関与しない?

長谷川 そうですね。もちろん、負けたらやめます。これ以上、続ける自信はまずないので。勝っても、そういうことです。だから、最後だと思ってやるんです。この先のことを考えず、この試合にすべてをかけ、勝っても、負けても、やり切って終えるだけ......。だから、今までの試合で一番、楽なんです。

―― 先のことは、次戦を終えたらすべてが決まると。

長谷川 そうですね。次のステップ、次の人生に進むための試合です。(2011年4月、WBC世界フェザー級初防衛戦の)ジョニー・ゴンサレスに負けたままでは、中途半端すぎて次の人生に進めなかった。不甲斐なさすぎたので。負け方とかじゃなくて、心情として。

―― 引退について誰かに相談されましたか?

長谷川 してないです。家族には伝えてますけど。会長はこの記事を読んだらビックリするんじゃないですか。でも、いいんです。決めるのは、俺。俺はこの試合を気持ちよく終え、(やめると決断すれば)やめようと思っていますから。中途半端で続けるのが、自分にも、ボクシングにも一番失礼ですから。

■フェザー級王者になった試合で、
俺のボクシング人生は終わった

―― 3年前、ゴンサレスに敗れてベルトを失った後、東日本大震災の被災地を慰問し、被災者の方々に再びベルトを獲ることを約束されていますよね。

長谷川 その約束を果たしたいって言うと、その人たちのために闘っているみたいでイヤなんです。おこがましい。ただ、俺は俺のために闘うので、結果として約束を果たせたらいいなと思っています。俺は、俺が満足するために闘います。それでも応援してくれるなら、ともに闘ってほしいなと思います。

―― なるほど。現役最後となるかもしれない試合に臨むにあたって、寂しさはありませんか?

長谷川 寂しくはないですね。母親が亡くなった後、フェザー級の王者になった試合で、俺の中で、俺のボクシング人生は終わったんです。今も、その気持ちは変わらない。あそこで、自分のボクシング人生の歩むべき道は走り切った。言い方は難しいですけど、今はオマケです。だから寂しくもないし、ケガなく試合を迎え、すべてを出し切り、事故なく試合を終えたい......。それだけです。

―― 振り返るのは早すぎませんか。日本歴代2位となる世界王座10度防衛、飛び級での2階級制覇。キャリアを振り返って、「長谷川穂積」というボクサーをもっと褒めてあげてもいいと思いませんか?

長谷川 思いたいですけど、思えませんね。俺は一生懸命やって来ただけなんで。ホンマに自分が好きでやってきただけ。その中でたまたま、いろいろな物を手に入れただけですから。

―― では、次戦に向けてファンにメッセージを。

長谷川 この試合で、俺は、俺に勝ちたい。今までの俺に勝てるように頑張るんで、その瞬間をひとりでも多くの人に見てもらえたらなと思います。

―― 敵は自分自身。勝てそうですか?

長谷川 やってみなければ分からないですね。でも、練習でやり切ったら、満足できる練習ができたら、試合はオマケやと思っています。結果は別に、どっちでもいい。勝手についてくるものだから。自分に勝てるかどうかは、練習を終えた時点で決まると思います。

―― 最後に、もう一度聞きます。ボクシング、好きですか?

長谷川 大好きです。

【profile】
長谷川穂積(はせがわ・ほづみ)
1980年12月16日生まれ、兵庫県西脇市出身。168.5センチ。サウスポー。真正ボクシングジム所属。1999年11月にデビューし、2005年4月、プロ20戦目での世界初挑戦で王者ウィラポン・ナコンルアンプロモーションを倒してWBC世界バンタム級チャンピオンとなる。その後、世界王座に5年間君臨し、その間に10度の防衛に成功。2010年4月にバンタム王座から陥落するも、フェザー級に転向して同年11月に2階級制覇を達成する。37戦33勝4敗15KO。

水野光博●構成・文 text by Mizuno Mitsuhiro