松山英樹がプロになって初めて挑んだマスターズ(4月10〜13日/ジョージア州)。予選ラウンドを終えたばかりの彼をメディアが取り囲んだ。

「......」

 松山は、言葉を発しなかった。いや、発する言葉がなかったというのが正しいのかもしれない。何を言っても言い訳にしかならないし、もとより、悔しさをいちばん噛み締めているのは、松山本人に他ならないからだ。

 それでも、記者たちは松山にコメントを求める。世の中に彼の声を伝えたいからである。

 その言葉少ないコメントの中で「まだまだ下手なんです」という言葉だけが、僕の耳に響いた。

 アマチュア時代から松山は、時折その言葉を発していた。その言葉を聞いたあとの大会では、決まって成長してきた。だから、松山の情熱が3度目のマスターズ予選落ちで消えたわけではない。彼が躍進する舞台はこの先、いくらでも待っている。

 それにしても今回のマスターズ、松山は初日80。そして2日目は71。通算7オーバー。予選通過ラインの4オーバーに3打足りなかった。3度目のマスターズ挑戦は、2日間、36ホールで終わった。松山は、まさに夢半ばでコースを去ることになった。

 その敗因は、どこにあったのだろうか。

 左手首の故障で、痛みがあった? 試合数が少なく調整不足? ショットが悪過ぎた? パッティングが最悪だった?

 粗(あら)を探せば、きりがない。万全だからといっても、そのまま成績に反映されるほど、スポーツの世界は甘くない。

 例えば、ソチ五輪、女子フィギュアスケートの浅田真央。金メダルに最も近い存在と評されながら、結果は総合6位となった。あるいは、カーリングの日本女子チーム。氷の溶け具合を読み切れないまま、予選リーグ敗退で大会を終えた。典型的な例が、ロシアチームのあとに行なわれたゲーム。ロシア戦では観客が多く集まって熱狂し、その後の試合では、氷の溶け具合が微妙に違って、ストーンのスピードや曲がりに影響したという。つまり、スピードスケートにしろ、何にしろ、自然を相手にするゲームはデリケートなのである。

「今回の、グリーンのタッチが最後まで合わせ切れなかった」と、ぼそっと語った松山。

 確かに敗因の大半は、パッティングだった。初日、39パット。2日目が30パット。

 パー72のコースでは、ショット36、パット36が基準。でも、すべてのホールでパーオンできるわけでないので、その打数をパッティングで補って、パープレイ、アンダーパーにまとめていくのがゴルフ。初日の松山は、それを遥かに上回るパット数だった。

 少しでもいい成績を残したい、優勝争いしたい、という気持ちと、現実のタッチが合わなかったのだろう。

 最近、米ツアーの選手がよく使う言葉で「メンタル・ミステーク」という言葉がある。これは、判断ミスとは少しニュアンスが違う。迷い。悩み。ショットやパッティングにおいて、勇気や決断へと導くメンタル面での後押しができないことも含まれる。

 このマスターズで松山は、おそらくそんな心情だったのではないか。常に悩んで、迷って、なかなか思い切った決断を下せずに、プレイせざるを得ない何かがあったのかもしれない。

 左手首痛に関しては、同じような痛みを抱えていたプロゴルファー、丸山茂樹の言葉が頭によぎる。

「実際に痛さをあまり感じなくても、あの痛さが記憶に残っていて、怖くて、トラウマのようになって、気持ちよくスイングできないんですよ」

 この感覚が、もし松山にあったとすれば、それも敗戦の素因になっていたかもしれない。

 ともあれ、松山はまだ、プロとしてスタートを切ったばかりである。もし僕が、松山に声をかけるとしたら、こんな言葉を伝えるだろう。

「若い頃の失敗は、挫折ではない」ということと、「マスターズ優勝者が、初優勝までにかかった時間(出場回数)の平均回数は、7回だよ」と。

三田村昌鳳(みたむら・しょうほう)
1949年2月24日生まれ。週刊アサヒゴルフを経て、1977年に編集プロダクション(株)S&Aプランニングを設立。ゴルフジャーナリストとして活躍し、青木功やジャンボ尾崎ら日本のトッププロを長年見続けてきた。初のマスターズ取材は1974年。今大会で35回目となる。(社)日本プロゴルフ協会会員外理事。

三田村昌鳳●文 text by Maitamura Shoho