【建物萌の世界】第27回 知られざる「艦これ」聖地・横須賀鎮守府司令長官官舎

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「艦これ」の聖地として、多くの提督(プレイヤー)が訪れる神奈川県横須賀市。その高台に、海を見守るように建つ海軍ゆかりの建物があります。大正時代に建てられた、かつての横須賀鎮守府司令長官官舎です。今回はその建物をご紹介しましょう。

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分庁舎正門

旧海軍横須賀鎮守府司令長官官舎は、現在は海上自衛隊横須賀地方総監部が管理する「田戸台分庁舎」となっています。建てられたのは1913(大正2)年。設計に当たったのは、横須賀鎮守府経理部建築課長だった桜井小太郎と技師富田喜久二。洋館部と和館部が接続した、和洋折衷の建物です。洋館部は屋根裏付きの平屋建て、和館部は一部二階建てとなった木造建築。洋館部は構造材が外壁に露出したハーフティンバーと、石張りの基礎と暖炉の煙突が特徴。いわゆる「チューダー様式」的な雰囲気になっています。桜井は日本人で初めて英国公認建築士の資格を得た人物なので、そのノウハウが活かされた建物と言えるでしょう。

旧横須賀鎮守府司令長官庁舎

この建物の建設にあたって、大きな役割を果たしたのは桜井小太郎だけではありません。建設を決めたのは、当時の横須賀鎮守府司令長官だった瓜生外吉。瓜生は日本人で初めてアナポリスのアメリカ海軍兵学校を卒業した人物で、夫人の繁子も明治政府の第1回海外留学生として津田梅子、大山捨松らと共にアメリカへ留学した経験があり、海外生活経験が豊富でした。イギリス、アメリカと欧米の生活や建築に精通した人物が同時期に横須賀にいたことで、このような建物が誕生したと言えそうです。

イギリス的雰囲気

残念ながら、瓜生は完成の前年に横須賀鎮守府の司令長官を退任したので、住人として入居することはありませんでした。最初の住人となったのは、当時横須賀鎮守府艦隊司令官だった東伏見宮依仁親王。東伏見宮もフランスのブレスト海軍兵学校を卒業し、イギリス留学の経験もあったので、洋式の生活に慣れていたことと、皇族であることが考慮されたのでしょうね。どうもこれは使い勝手を確認する「お試し入居」だったらしく、およそ1ヶ月後には横須賀鎮守府司令長官の山田彦八が入居しています。

庭から見ると、大きな亜鉛葺き切妻屋根の組み合わせに、張り出した六角形のベイウインドウ(出窓)、そして明かり取り用の四連窓が印象的。庭に下りるサンルームの上部には、先の尖ったチューダーアーチが。

庭からの外観

庭に向かっては、もうひとつ、大きなベイウインドウがあります。

庭に面した出窓

また、日本に於けるステンドグラスの先駆者、小川三知の作品が各所にあります。ごく初期の作品で、大変貴重です。

正面四連窓のステンドグラス食堂のステンドグラス

和館との接続は、違和感のないように配慮されていますが、なんとなく「西洋建築の方法で作られた和風建築」という感じの雰囲気も。洋館と較べると、ちょっと不思議な感じです。

洋館に繋がる和館

この建物、1945(昭和20)年に横須賀鎮守府が廃止されるまで、34代(31人)の司令長官の居宅となりました。主だった人物を挙げると、司令長官となって再び入居した東伏見宮の他、後に首相となり二・二六事件で襲撃された岡田啓介、真珠湾攻撃時の駐米大使となった野村吉三郎、海軍大臣を経て真珠湾攻撃時の軍令部総長となった永野修身、後に首相や海軍大臣を歴任し、終戦工作に奔走した「帝国海軍の幕引き役」米内光政、連合艦隊司令長官在任時に「海軍乙事件」で殉職した古賀峯一、『ウルトラマン』等特撮作品の監督で知られる実相寺昭雄の祖父である長谷川清など。そうそうたる面々ですね。

野村吉三郎像

戦後はアメリカ海軍に接収され、今度は1964(昭和39)年まで在日アメリカ海軍司令官等9人の官舎となりました。この時に内外装とも様々な改修がなされ、外観は白い下見板張となり、内装も白が基調となったものに変更されています。1969(昭和44)年に日本の防衛庁に移管され、以来海上自衛隊が管理しています。長らく活用されていなかったのですが、1990年代に復元(改修)され、現在はアメリカ軍をはじめとする国内外の高官・要人をもてなすレセプションなどに使用されています。

アメリカ軍接収時代の改修と、再活用する為の復元工事で潤沢な予算が割けなかったこともあり、現状で使いやすくするという形になった為に、戦前の姿への完全な復元はできませんでした。この為オリジナルの姿とは違う部分も多々ありますが、残された調度品などに往時をしのぶことができます。

内部に入ると、簡略化されたペディメント風の装飾が施された玄関。向かって左は応接室として使われた部屋、右には食堂と居間があります。奥へ進むと和館(和室)。

玄関

完成当初は応接室として使用されていた部屋は、現在は記念館となっています。机が置かれ、いかにも「司令長官の部屋」といった雰囲気。

記念館

部屋にある家具と暖炉は当時のもの。暖炉の開口部は日本的な火灯窓風のデザイン。家具にはステンドグラスがあしらわれています。

暖炉と家具
火灯窓風の暖炉ステンドグラスの装飾

現在もレセプションの会場として使用されている食堂。壁には東郷平八郎による「集気海(海に気集まる)」の書が掲げられています。奥の家具には、同じく東郷平八郎の銅像が。中には、江戸幕府初の蒸気船にして長崎海軍伝習所の練習船だった観光丸の模型が収められています。レセプションなど、こちらで食事会が行われる際は、海上自衛隊横須賀地方総監部の給養員が調理を担当するとか。厨房は現代風に改装されています。

食堂
東郷平八郎の書食堂の家具

東郷平八郎の銅像「此一戦(このいっせん)」は、日本海海戦に於いて戦艦三笠の露天艦橋で戦況を見守る様子を題材とした作品。右手に双眼鏡、左手に軍刀を持ち、鋭い目で遠くを見やる姿が威厳を感じさせます。

食堂の東郷像

食堂に続く居間にはソファが置かれ、くつろいだ形で歓談できるようになっています。壁には横須賀の古い海図。ここにある暖炉は大幅に改修されていますが、終戦までは上部に小川三知が制作した、クジャクのステンドグラスがありました。アメリカ軍接収後の改装で取り外され、鏡が設置されたそうですが、現在は開口部を除いてタイルと木レンガによる装飾に置き換えられています。

居間暖炉上にあったステンドグラス

この居間には、スタインウェイ社(ドイツ製)のピアノがあります。これは元々、海軍の従軍カメラマンだった男性が赴任していた樺太から1925(大正14)年に日本へ帰還する際、ロシアの女性から譲ってもらったもの。軍艦で横須賀まで移送し、二人の娘さんが練習に励んでいたそうですが、1929(昭和4)年に市内の繁華街で写真館を開業する為に引っ越した際、ピアノが大き過ぎて新居に入らず、縁のあった海軍に寄贈したという品です。戦後ずっと忘れられていたのですが、貴重なものと判明したのでスタインウェイに復元を依頼し、修復したそうです。レセプションで音楽隊のピアノ奏者が演奏したりする他、この分庁舎で開催されるミニコンサートなどで使用されています。一般にも無料で貸し出しがされるとか。

ドイツ製スタインウェイのピアノ

和室部分はすっかりキレイになっていて、まるで旅館の一室のよう。かつての様子を想像するのは難しいのですが、アメリカ海軍の司令官官舎だった時代は、この和室に大きなベッドを入れ、寝室として使用していたというから驚きです。

和室

和室の床の間にも、東郷平八郎の書が掛け軸としてかかっています。

床の間にかかる東郷平八郎の書

この建物には、様々な資料も展示されています。建設間もない大正時代のものでは、1915(大正4)年12月4日に横浜沖で行われた「御大礼特別観艦式」に際して、当時の第2艦隊司令長官名和又八郎に送られた午餐の招待状や、1920(大正9)年5月31日に行われた戦艦「陸奥」進水式の記念写真など。「陸奥」進水式の記念写真に写っているのは、貞明皇后(大正天皇皇后)です。この進水式が行われた船台跡地は、現在ヴェルニー公園隣のショッパーズプラザ横須賀(ダイエー横須賀店)になっています。

午餐の招待状戦艦陸奥進水式の写真

昭和の時代を象徴するのは、やはり山本五十六。様々な時期の手紙や名刺が展示されています。トラック泊地の連合艦隊旗艦「大和」から出された手紙は、ブーゲンビル島で戦死する半年ほど前の日付。

山本五十六少将時代の手紙大和から出された手紙

また、現在の海上自衛隊に関するものも。横須賀に所属する護衛艦「ひゅうが」や、最新の汎用護衛艦「てるづき」、そうりゅう型潜水艦の模型等があります。そうりゅう型潜水艦の模型は、船体に貼られた吸音タイルも再現され、セイル部の潜舵にはオレンジ色の救命胴衣を着た乗組員が乗っているという凝りよう。おそらくレセプションの際に話題になったりするんでしょうね。

護衛艦てるづき模型そうりゅう型潜水艦模型

サンルームには、元海上幕僚長で第5代統合幕僚会議議長だった故板谷隆一氏寄贈の南極の石も。この方、海軍兵学校時代は零戦の初陣を指揮した新藤三郎の同期で、自身は第2水雷戦隊参謀として軽巡洋艦「矢矧」に乗艦し、戦艦「大和」を中心とする水上特攻作戦に参加しています。寄贈年が没年と異なるのですが、おそらく遺族が故人の名で寄贈したんでしょうね。

南極の石

広島県にある、旧海軍呉鎮守府司令長官官舎だった入舟山記念館は、呉市に移管された為に一般公開されています。しかしこの旧横須賀鎮守府司令長官官舎である田戸台分庁舎は、海上自衛隊の現役の庁舎、しかも内外高官などゲストを接遇する施設ということもあって、普段は非公開。定期的なものとしては、庭園の桜開花時期に合わせた数日間の一般公開のみです。庭園にはソメイヨシノだけでなく、シダレザクラやオオシマザクラなど、様々な桜が植えられており、地元住民は「桜の分庁舎」として一般公開を楽しみにしています。

庭園

庭からは走水方面の海が望めます。ビルが増えましたが、かつてはもっと風光明媚だったんでしょうね。

庭からの景色

隣接する個人のお宅敷地には、旧海軍のものと思われる詳細不明の貯蔵庫もあり、なかなか興味深いところでもあります。

詳細不明の貯蔵庫

2014年度の一般公開は終了しましたが、この他不定期に公開されることがあります。2013年度はアニメ『たまゆら 〜もあぐれっしぶ〜』とタイアップした、京浜急行の沿線ウォーキングイベントでも公開(外観と庭園のみ)されたので、こまめに情報収集をしておくといいかもしれません。

(文・写真:咲村珠樹)