NHK『みんなのうた』の名曲で考える…“子供のための音楽”なんて必要か?
 何の気なしに耳にした音楽が妙に気になる。忘れられない。そういった経験がおありの方も多いかと思います。NHK『みんなのうた』2月・3月期にオンエアされた坂田おさむの『ねむいいぬ』は、まさにそういった楽曲でした。

※『ねむいいぬ』サンプル音源 http://hoick.jp/mdb/detail/17102

 全体を通すと奥田民生の名曲『羊の歩み』を思わせるフォークロックではありますが、ハーモニーがマイナーコードへと気怠く落下していくコーラスのフックが耳に残ります。さらにはベースラインの輪郭を際立たせるビートルズライクなリフ。子供向けの楽曲にしてはやたらと激しいギターソロが繰り広げられたかと思うと突如音が途切れて、犬が一吠え「ワン」。“うるさいワン”ということでしょうか。

 それはともかく、2分半足らずの曲でありながら随所で仕掛けが光る。しかし基本はメロディを心臓の鼓動に近いペースで無理のないハーモニーのもとに聴かせることにある。なので、歌うことがそのまま語り掛けるようなトーンになっています。

『ねむいいぬ』は子供に向けて作られた曲ではありますが、決して子供っぽい曲ではありません。童謡のような明快さを保ちつつ、洋楽のエッセンスが素直な形で表れています。曲の時間的な制約とそれを聴く子供の年齢という条件があるからでしょうか、アイデアの旨みの部分だけが残っている。物心のついた子供が最初に触れるポップロックとして、申し分のない曲だと思います。

◆お祖父ちゃんと孫娘たちが作ったカントリーソウル

 しかしアメリカにはただ聴かせるだけでなく制作の過程に子供を巻き込んだ挙句、実に滋味豊かなカントリーソウルを作り上げてしまったツワモノがいるのです。

 映画『メジャーリーグ』の主題歌『Wild thing』があまりにも有名なシンガーソングライターのチップ・テイラー。彼が3人の孫娘とともに発表した『Golden kids rules』は、そのタイトルとは裏腹に大人の音楽に従うからこそ、子供の声がよりよく響くことを教えてくれています。

⇒【動画】http://youtu.be/gO3P-ktn7PI
Chip Taylor Discusses “Golden Kids Rules” at the Smithsonian

 制作に先立って何度もリハーサルを繰り返したという3人の孫娘の歌は、語尾を洒脱に投げ捨てます。するとあやふやになった最後の音がブルージーな余韻を残すのですね。しかしあくまでも声は子供ですから、そこに微笑ましくも新鮮なトーンが加わるのです。そんな彼女たちをフォローするチップ・テイラーの歌は、音量を抑えてささやくように歌うことで頼りなげになる。するとすかさず孫娘たちが覚えたてのブルースで手を差し伸べる。

 そんな祖父と孫娘とのやり取りを支えるバンドが容赦なく渋い。アコースティックギターにアコーディオン。ブラシで擦ったスネアの音からは乾いた土の匂いが立ち込めます。そしてリードギターはヴァン・モリソンの傑作『Moondance』への参加で知られるジョン・プラタニア。祖父と孫娘との歌にある行間を、コードトーンを活用した慎ましやかなフレーズで埋めてゆく。

 もはや大人というよりも中期高齢者ぐらいにまで枯れたサウンドで、『Daddy is a Red Sox fan/Mommy is a Yankee fan』(パパはレッドソックスが好きでママはヤンキースが好き)と歌われるのですからたまりません。『私を野球に連れてって』の引用を挟みつつ、<オルティーズが打つとパパは「入れ―!!」と叫んで、ママは「松井、捕って!!」と言う。私はいったいどうしたらいいの?>。日本の野球ファンなら誰もが思い浮かぶようなシーンが登場する楽しいお遊びもあります。

◆「子供の目線」に降りようとするのは正しいことなのか?

 しかし本作の白眉は、3人の孫娘の次女ケイト・エニスが学校の課題で書いた詞をもとに作られた『Magical horse』という曲でしょう。

<私は不思議なお馬さん 雲の上で暮らして虹を食べる 私は雨粒の匂いがする>

 この詩を読んで驚いたというチップ・テイラーはすぐに曲を書き始めたといいます。そして出来上がったのが、ヴィック・チェスナットの名曲『Duty free』を思わせる茫漠とした痛みの漂う美しいメロディでした。」

⇒【動画】http://youtu.be/cLMJGmYO2AA
Chip Taylor and the grandkids singing magical horse

 この曲を前にすると「子供のための音楽」という括りは必要なのだろうか、そしてそもそもそう考えることは正しいのだろうかと、少し考えてしまいます。

 チップ・テイラーは孫娘たちの目線にまで降りてこようなどとは考えなかったでしょうし、彼女たちもそれを望んでいなかったでしょう。いずれ齢を重ねたときに従うべきルールの中でいっしょに作業をする。その過程で成長しきっていない“声の子供”が置き去りにされる。子供らしさというものがあるとすれば、そういった物的な痕跡だけで十分なのではないでしょうか。

 『ねむいいぬ』のもう一歩先があるとすれば、それは大人の思い切った割り切りから始まるのかもしれません。 <TEXT/音楽批評・石黒隆之>