典型的なアラブの男性【撮影/安田匡範】

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チュニジア、エジプト、リビアと革命が続く中東。今でも毎日のように、テロや紛争のニュースが絶えません。なぜ中東では革命や政変がこんなに起こるのでしょうか。今回のテーマは「中東」と「アラブ」。知っているようで知らないこの違いを、中東研究家の尚子先生が、わかりやすく説明します。

●参考記事 「中東」とは、どこからどこまでを指しますか?

 アラブ人とは、アラビア語を母語とする人々のことです。「ただそれだけ? おおざっぱだな」と思われるかもしれませんが、これには深い歴史的な背景があります。その話は本編の後半でお話しすることとして、まずは日本で流布しているアラブ人の誤ったイメージからご説明します。

 日本でアラブ人というと、男性なら黒髪に浅黒い肌、髭にターバン、女性なら眼だけ出したダースベーダ―のような黒い服というイメージが強いですよね。けれども、あの黒い服は主にアラビア半島やイランのイスラム教徒の女性の服装で、すべての女性が着ているわけではありません。なぜなら、すべてのアラブ人がイスラム教徒ではないためです。アラブ人の中にはキリスト教徒や、少数ですがユダヤ教徒、ゾロアスター教徒などもいます。

 また、人種的にもアラブ人は黄色人種とは限りません。金髪で白い肌のアラブ人もいれば、黒髪に褐色の肌のアラブ人もいます。私のアラブの友人(ちなみに彼女は金髪碧眼)によれば、成長するにつれて髪の色が変化したり、兄弟姉妹でも色が異なることもあるのだそうです。なぜこのように多様な人種がまじりあった状態になっているのでしょうか?

「中東」は多様な宗教の人々が混在する複雑社会

「中東」の中でも、とくにヨルダンやシリア、レバノン、エジプトといった地中海東岸部は、古くはローマ帝国の支配下にあり、「文明の十字路」と呼ばれるような地域でした。そう考えると、さまざまな髪の色や肌の人々が暮らしていた地域だと想像できるでしょう。また、ローマ帝国の支配下にあったということは、キリスト教が栄えていたことも想像に難くないと思います。

 イスラム教が7世紀にアラビア半島で生まれ、この地域での主要な宗教となった後も、キリスト教徒たちは改宗することなく現代まで脈々と存在しています。よく、イスラム教徒は、征服した土地の異教徒に「剣かコーランか」の選択を迫ったといわれていますが、すべての人々に改宗を強要したわけではありません。

 経典の民(キリスト教とユダヤ教の一神教を信仰する人々)からは、安全に住まわせることと引き換えに、現代でいうところの税金を徴収していたのです。すべての人がイスラム教徒に改宗してしまっては、税収がなくなってしまいますから、支配者側にとっては困りものです。その結果、多様な宗教の人々が存在する複雑な社会となったのです。

 先の説明から、「中東」=「アラブ」ではないことは、もうおわかりでしょう。例えば、イランは「中東」に位置していますが、ペルシャ語を話すペルシャ人によって作られた国ですからアラブの国ではありません。同様に、トルコもトルコ人による国ですからアラブではありません。この例からもわかるように、ふつう○×人という場合、「国名」+人(じん)という言い方なのですが、アラブ人の場合はこれにあてはまってはいません。

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