ワイルド・スワン(左から)上巻、中巻、下巻

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「ワイルド・スワン 上・中・下」(ユン・チアン著 講談社)

言わずと知れた、中国の文化大革命時代を描いた世界的名著である。

通常我々が知る歴史や伝記、英傑達の織りなす大河ロマン譚的な魅力も捨てがたいが、自分は、市井の人々がどのように時代の潮流と真摯に向き合って生きたかを語る歴史絵巻に、より強く心惹かれる。それが、まだ起こってから日の浅い、国家レベルの凄まじい狂気と混迷の悲劇を舞台にしたドキュメンタリーなら、なおさらのことだ。

国家と「人民」の一体的な相互作用でエスカレートした文化大革命

本書の出版は1991年、日本ではバブル景気が下火になってきた頃のことだが、当時は(僅かな希望はあるものの)その凄惨な内容に、正直時代の雰囲気との大きなギャップを覚えたのを記憶している。

だが、ここに記された内容は事実だ。

文化大革命については今更説明するまでもないだろうが、一国の最高指導者が始めた自らの権力奪取闘争のために、社会が一種の内乱状態に陥った政治的な悲劇といわれている。また、少なからぬ人間が命を落とし、当時9億人の中国社会に大きな爪痕を残したことも、今では明らかになっている。

元特権階級の知識層に生まれた華のような女性著者と家族も例外ではなく、始まりからトップスピードで激動の運命の嵐に巻き込まれていく。が、ここから先は、是非とも本文を読んで頂きたいと思う。(決して読み飽きしないこと必定)

本書の大きな魅力の一つは、国家政治の趨勢と同時に、その時代に生きた人々の群像に仔細に迫っていることだ。長い歴史の中で国家の混乱はどこかで必ず起こるものだが、その混乱が社会や国家と「人民」のどちらか一方だけではなく、両者のいわば一体的な相互作用によってエスカレートしていくことを、本書は一個人の目線から明快に示してくれる。戦を始めたのは為政者でも、いざ槍持て殺し合ったのは普通の市民たちなのだ。

根源的な問題は、無論為政者の野心。そして属人的統治や権力チェック機能の不在、情報操作等にあったのだろう。だが、権力者に翻弄されたサイレント・マジョリティたる市民は、本当にただの無力な被害者だったのだろうか。いや、大半の人間も、むしろ沈黙することで「集団の暴力」に加担した側面は否めないのではないか。

底流に感じられる善意や良心への信頼と希望

無論、当事者でない自分にはわからない。が、本書が描く、集団催眠のような極限状況の中でこそ剥き出しになる人間の本性そのものについては、よく理解できる。相互監視、洗脳、密告、盲信、捏造、追従、裏切り…保身のために平気で仲間を売る者、僅かな権力を手にした途端豹変する者。そして主義を貫けず沈黙する大多数の者。悲しいことだが、脆く弱い人間の姿が、常にそこにある。

しかし、読後感があまり暗くないのは、本書の底流に、微かではあっても人間の善意や良心に対する一縷の信頼と希望が感じ取れるからだろうか。

司馬遼太郎氏は、著書の中で、人々の中に正しく揺るがない芯ともいうべき「恒心」がなければ、国は滅びるだろうと述べている。

残念なことに、国家が市民のために存在するという観念は、数世紀前に登場して以降、まだまだ世界中に定着したとは言い難い。この希有な人間ドラマは、我々がなぜ日々世相を学び、なぜ国家や社会に真摯に向き合っていかなければならないかを、圧倒的な物語を通じて再認識させてくれる。

総務省 (課長級) 凜青