今週はこれを読め! SF編

 エヴンソンはいちおうメインストリームの現役作家(デビューは1994年)だが、この短篇集『遁走状態』で世界幻想文学大賞候補になっており、SF情報誌〈ローカス〉にインタビューが載ってもいて、新しいものが好きなSFファンには見逃せない作家だ。ここに収められた19篇はどれもこれも"奇妙な味"で、うち数篇は外形的にもSFに分類できる。



「さまよう」は破滅後の世界を放浪して、廃墟の村にたどり着いた部族の物語だ。そこには使える住居が十軒あまり残っているが、そのいずれにも中身が抜けたズタ袋のような死体が転がっている。死体をどけて、しばらく滞在していると、自分たちの顔や手が熱をもって奇妙に柔らかくなってきた。やがて、村からだいぶ外れた場所に巨大な館が発見され、そこは死者はいなかったが、代わりに青っぽい熱と光を発する水が満ちた穴がある。部族の指導者は、水中にまたたく目を発見してそれをむしりとろうとするが、手が煮えて肉がはがれおちてしまう。実はその館は失われた科学技術の恐ろしい遺物でした......みたいな種明かしはない。神話的な試練----それは穢れのようでもあり浄化のようでもある----をくぐり抜け、部族はある種の諦観へ到達する。



「供述書」も文明崩壊後の世界だが、こちらは部分的に社会秩序が残っている。主人公は(たぶんアメリカ)東部のコミュニティに属し、冬を乗り切る食糧を物々交換で入手するために内陸(中西部)へと旅をする。そこで絶望的に困窮した一派と出会い、行きがかり的に彼らの宗教的指導者に祭りあげられてしまう。まとわりつく愚衆から逃れようと怪しげなお題目を唱えるのだが(主人公自身もウロ覚えの聖書の知識しかない)、それがかえって彼らのカルト精神を掻きたて、いよいよ厄介なことに。物語は冷笑的で皮肉っぽく運ぶのだが、最終的な局面で宗教的(とも言えなくもない)解悟が訪れる。



 これらの作品を読んで、「異常な状況における極限の精神状態」とみなすことはたやすい。健康な自分には関係のないことだ、と。しかし、本当にそうだろうか?



 エヴンソンが描く境地は、じつは普段の生活からほんの半歩の距離かもしれない。「年下」という作品の語り手は、幼いころ姉とごっこ遊びでムスタングになっているとき、両親に悲劇が起こり、それ以来ずっと片づかない気持ちを抱えて人生をすごすことになる。それはトラウマとは違う。脱線した時間を戻したいというか、姉と一緒にまたムスタングになればなんとかなるような気がするというか、その程度のことなのだ。その程度だけど、抜き差しならない違和感。



「追われて」では元妻が追ってくるような気がする夫が、「マダー・タング」では自分が思っていたのとは違う言葉が口に出てしまう教員が、それぞれ主人公。それくらいの気の迷い、不随行動は、誰もが経験することだろう(ぼくはけっこうあります)。そのとき、いっしゅん日常の時間がズレてしまう。それがもし戻らなかったら。どんどん拡大したら。エヴンソンの小説の恐ろしさである。



 本書の「訳者あとがき」ではチャールズ・ブロックデン・ブラウンやエドガー・アラン・ポーを参照し、〔「私」の連続性が保証されないアメリカ的自由と不安〕を指摘している。本書収録作品でぼくがもっともポーとの類縁を感じたのは、「アルフォンス・カイラーズ」で、語り手は自分の師匠(哲学的パラドックス、神学全般にわたる)アルフォンス・カイラーズを殺害し、当のカイラーズが残した忠告に従って海外逃亡を企てる。船に乗るとき名前を問われた彼は、身分を偽るため咄嗟に「アルフォンス・カイラーズだ」と答えてしまう。筋立てとしては「なりすまし」ミステリだが、それ以上に「分身」文学であって、語り手のアイデンティティはアルフォンス・カイラーズに取って代わられてしまうのだ。その過程のどこかでリアルが裏返っているのだが、その反転箇所を特定することはできない。もしかすると語りはじめたときからかもしれない。あるいは最後までこれは気の迷いにすぎないと言い張ることもできる。



 一方、巻中の変わり種(スマートなコメディ----つまり普通なところがこの作家としては変わっている)が「九十に九十」。良質の文学を手がけたい編集者コスワイラーが、社命で愚にもつかないブロックバスター企画を担当することになって......。アメリカ出版界ゴシップ的な興味もそそられるが、ボスに逆らったコスワイラーに課せられる前代未聞のミッションや、ボスの意外な弱点(その起源を知る者は社内にいない)など、奇想の凝らしかたが絶妙。



(牧眞司)




『遁走状態 (新潮クレスト・ブックス)』
 著者:ブライアン エヴンソン
 出版社:新潮社
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