3月22日のW杯最終戦・プラニッツァ(スロベニア)で行なわれたラージヒルでは、追い風が吹くなかでも135m、132.5mの大ジャンプを揃えて2本ともトップ。2位になった伊藤有希に26.7点の大差を付けて高梨沙羅は15勝目をあげた。

 W杯全18戦は優勝以外でも2位が2回、3位が1回とすべて表彰台にあがる抜群の安定感で、昨季に続く総合優勝を獲得。さらに昨季はアメリカとスロベニアに後れをとる3位だった国別対抗のネーションカップも、伊藤の成長などが加わって大差で獲得と、強さを見せつけたシーズンを終えた。

「今年もたくさんの方々の支えがあって総合優勝を獲ることができました。昨年に続いてクリスタルトロフィーを手にすることができましたが、その重さは応援してくれる方々の温かさや思いが詰まっているからだと私は感じています」

 こう話す高梨は、初のネーションカップ獲得についても「チームの先輩方はじめ、スタッフの皆さんのおかげで獲れて。最終戦にみんなで(ネーション)カップをいただけたことはすごく大きかった思うし、表彰台からの素晴らしい景色を味わわせていただきました」と振り返る。

 7連勝を含むシーズン15勝。その中には大差での勝利が多く、彼女の飛び抜けた実力を示した。世界ジュニア個人では3連覇を果たし、W杯の混合団体、世界ジュニア団体でも優勝を飾ったが、唯一、表彰台にあがれなかったのが2月のソチ五輪だった。

「五輪だけがちょっと違いましたね。そこに焦点を合わせることができなくて調子が落ちてしまったというか......。なかなか自分のジャンプができなかったのでそこが悔やまれるところですが、その後でしっかり振り返ることができたと思いますし、とてもいい収穫になったんじゃないかと思います。先輩方が作ってくれた土台の上にできた五輪だったと思うので、あの舞台に立てて自分は幸福だったと思うし、とてもいい経験をさせていただきました」

 父親の寛也さんは「沙羅の場合は体が小さくてスキーも短いから、極端に寒過ぎるところや、気温が上がってアプローチの氷が緩んだり雪が降っているような条件は不利なんです。そういう悪条件の時は長いスキーを履いている大柄な選手の方が有利」と話していた。

 好調なシーズンインをした今季の高梨が、そんな父の言葉通りに、最初の躓(つまず)きを感じさせたのは第4、5戦のロシア・チャイコフスキー大会だった。

 気温、雪温ともにマイナス20度以下になった第4戦は、優勝はしたが2位のカロリナ・フォクト(ドイツ)とは0.6点差の僅差。冷え過ぎて体重の軽い高梨はスキーが滑らなくなり、助走速度は通常なら時速1km程度しか負けてないフォクトに、1.9km/hも負けていたのだ。

 マイナス17〜18度になった翌日は助走速度の差こそ縮めたが、助走姿勢の感覚を狂わせたのか1本目は6位。2本目には3位にあげることしかできなかった。

 次の札幌大会は雪が降る悪条件の中で連勝したが、寛也さんは「札幌のあたりから助走速度が遅くなっているのが気になっていた」と語っていた。その後の蔵王大会は強風で1本勝負になる中で勝利を重ねながらも、1月25日からのプラニッツァ大会では、2試合とも復活してきたダニエラ・イラシュコ(オーストリア)に飛距離で遅れをとった。

 ソチ五輪直前のW杯ヒンゼンバッハ大会(オーストリア)では再び連勝を重ねたが、助走の感覚のズレを完全に修正できた訳ではなかった。ソチ五輪の公式練習でも、寛也さんと毎日連絡をとって微調整を繰り返していた。

「100点満点のジャンプは年間に何本かしか出ないもの。沙羅の場合はこれまで、アベレージの高さで表彰台に上がっていたが、ソチでは上回る選手が3人いたということです」

 ソチ五輪の試合後、女子チームの小川和博チーフコーチはこう話した。ソチでの高梨は、優勝争いをした選手たちより風の条件が悪かったのは確かだ。着地直前も強い追い風に背中を叩かれるような状態になり、テレマークを入れられなかったのが最大の敗因になった。

 W杯前半戦のように彼女のアベレージがほかの選手を一歩以上上回っている状況なら、その程度の悪条件でも結果を出せたと思えるが、好成績が続いたがゆえに周囲の高梨に対する期待が高まり、本人も「勝たなければいけない」という精神状態になっていたのだろう。

 そのために出てきてしまった微妙な狂いを修正しきれなくてアベレージをあげられず、他の選手を半歩ほど上回るくらいの状態にしかできなかったのだ。そのため悪条件の影響を大きく受けて、僅差でメダルを逃す、という結果になってしまった。

 父親の寛也さんは試合前にこう話していた。「これまでのW杯の成績をみれば金メダルだと言われるのも仕方ないけど、実際には相手がいるし試合当日の条件がどうなるかもわからない。体格的に恵まれているわけではないから、『いい条件が全部当たればいいね』と話しているくらいです」

 五輪のジャンプはたった1日、2本だけの戦いだ。その日の気象条件や運の良し悪しによって結果は大きく変動する。それに対して、ひとシーズンでいくつものジャンプ台を回り、様々な気象条件の中で戦って総合順位を競い合うW杯は、運だけ以前に絶対的な強さが求められるもの。選手達が、本当に求めているのはその強さであり、五輪王者は五輪王者であって、最強の称号ではないという意識も持っている。

 ソチ五輪の重圧から開放された高梨は、その後のW杯では5戦全勝という結果を残した。その中にはルーマニアのラスノフ大会初日の26点差や、ラージヒルで行なわれたオスロ大会の39.1点差での圧勝劇も含まれている。それが高梨とほかの選手の、アベレージの差である。

 そんな戦いを彼女は「W杯ではジャンプ台がどんどん変わるから、転戦することでそれぞれのジャンプ台に慣れなければいけない。どうやってそのジャンプ台を攻略していくかというのが楽しみのひとつだし、それを常に考えていることにやりがいを感じます」と話す。それが彼女にとってのジャンプ競技の魅力なのだ。

 ただ4年に一度の五輪は注目度が高い。高梨はその意味を、ファンのおばあさんからもらった長文の手紙で改めて感じたという。「(高梨沙羅が)頑張っている姿を見ることで、生きることを頑張れている」と、お礼の言葉が書かれていたのだ。それを読み、そのおばあさんがもっともっと生き続けてくれるなら、自分ももっと頑張れると思ったという。

「ソチでは助走スピードも出ていなかったけど、それはしっかりと自分のポジションに乗れていないということ。それがテイクオフにもつながらなかったと思います。ただ、悔しいと思った部分もあったけど、五輪では本当にたくさんのことを経験させてもらえたので、そのひとつ、ひとつが今後の競技人生の中でも役立ってくれると思います。それを忘れてはいけないと思います」

 こう話す高梨は、次の五輪でもチャンスをもらえるなら、ソチ五輪ではできなかった、これまで支えてくれた人たちへ感謝の気持ちを伝えられるような結果を残したいとも話していた。それはまさに、完璧なジャンプをする真の強さを持った選手になることだ。

 ジャンプ選手の誰もが目標にするW杯総合優勝。しかも連覇という偉業を達成した高梨にとって、ソチ五輪の敗戦は、「もっともっと強くなりたい。強くならなければいけない」という強い気持ちを、改めて心の中にしっかりと植えつけるものになったようだ。

折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi