旅の楽しみのひとつは街歩きだ。これまで世界のあちこちの街を訪ねたが、そこには共通した特徴がある。

 街の構造のひとつの典型が東京で、皇居を中心に、国会や官庁街の周囲に銀座や新橋などの歓楽街がある。人口1000万人を超えると新宿や渋谷、六本木などの小都市が生まれるが、駅を中心にだいたいどこも構造は同じなので、外国人でも見知らぬ街をバックパックをかついで歩いて回ることができる。

 しかし時には、こうした常識がまったく通用せず戸惑うこともある。ヨルダンの首都、アンマンはそんな街のひとつだ。

 日本にはあまり馴染みがないが、ヨルダンは地中海東岸にある王国で、死海とヨルダン川を挟んで東をイスラエル(ヨルダン川の対岸はパレスチナ自治区)と接し、北にシリア、西の砂漠地帯の向こうがイラクとサウジアラビア、南は紅海へとつながるアカバ湾に面する。地図を見ただけで、地政学的になかなか大変な国だということがわかる。

 ヨルダンの数奇な運命については専門家である岩永尚子さんがいずれわかりやすく解説してくれるだろうが、ここでは簡単にその歴史を紹介したい。

[参考記事]
●教えて! 尚子先生 「中東」とは、どこからどこまでを指しますか?

ヨルダンの苦難の歴史

 地中海東岸の歴史は古く、50万年前の旧石器時代からヒトが住み着き、紀元前1万年前にはヨルダン渓谷で人類最古の農業が行なわれている。紀元前10世紀頃には旧約聖書に登場するさまざまな王国が興り、高度な都市文化を生み出した。

 アンマンの歴史はおよそ9000年前まで遡り、青銅器時代には丘の上に城砦が築かれ、紀元前1200年頃に古代エジプトがこの地を征服するとアメン神の名を冠した「アンモン」と呼ばれるようになった。その後、アッシリア、ペルシア、マケドニアなどの古代王国の支配下に入り、プトレマイオス朝の時代にフィラデルフィアと改名された。

 紀元前1世紀にローマの統治下に入るとデカポリス(十都市同盟)のひとつとして繁栄し、ビザンチン時代には正教の司教座が置かれ、多くの教会が建てられた。7世紀にこの地がイスラム化するとウマイヤ朝とアッバース朝の時代までは繁栄が続いたが、イスラム帝国の中心がイラクやイランに移るにつれて衰退し、その後はヨルダン川のほとりにローマ時代の遺跡が残るだけの寒村になっていた。

 ヨルダンがふたたび歴史の舞台に登場するのは1887年、ロシア帝国の弾圧を逃れて北コーカサス(北カフカス)から亡命してきたチェルケス人をオスマン帝国がヨルダン旧市街に移住させてからだ。20世紀はじめにはシリアのダマスカスとサウジアラビアのメディナを結ぶ鉄道が建設され、その経由地として人々が集まってきた。

 第一次世界大戦後は連合国の協定により、シリアとレバノンはフランス、ヨルダンを含むパレスチナはイギリスの委任統治領に組み込まれ、第二次世界大戦後にイスラエルをめぐる紛争に音を上げたイギリスがパレスチナの委任統治を放棄したことを受けて独立した。

 こうした歴史からわかるように、古代より地中海東岸はペルシア、エジプト、ローマなどの大国によって占領・統治され、イスラムの支配下に入ってからは聖地エルサレム奪還を掲げる十字軍が侵入し、現在はイスラエル建国によってアラブ世界とユダヤ国家が対立している。

 この地がこうした苦難の歴史を辿った理由は、ヨルダンを訪れてみるとよくわかる。

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