シリアの少年【撮影/安田匡範】

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チュニジア、エジプト、リビアと革命が続く中東。今でも毎日のように、テロや紛争のニュースが絶えません。なぜ中東では革命や政変がこんなに起こるのか。そもそも「中東」とは何を指しているのでしょうか。在ヨルダン日本大使館勤務後、フィールドワークで多くのヨルダン人との交流を重ねた、中東研究家の尚子先生が、わかりやすく説明します。

 まずは地図もしくは地球儀をご用意ください。地図はユーラシア大陸とアフリカ大陸が載っているものがよいでしょう。なじみの薄い地域ですから、位置を確認しつつ読みすすめてくださいね。

 よく知っている地域でも、同じ場所が切りとられた地図ばかりを見ていると、つながりがわからなくなってしまうことがあります。たとえば関東地方の方なら、毎日テレビの天気予報で、栃木県が最も北に位置している地図をずっと見ていますよね。そうすると、栃木県の北は何県だったのか、なかなか思い出せないなんてことになってしまいがちです。

■黒海およびカスピ海から見た世界地図

 地図の準備が整ったところで、「中東」と聞いてイメージした国はどこでしょう。

 アラビア半島? それともエジプト? イラクやトルコが加わっているかもしれませんね。「アフガニスタンとパキスタンは中東かな、それとも西アジアかな」と迷われている方もいるかもしれません。

 このようなイメージは、ほぼ正解です。「ほぼ」という理由は、「中東」という地域名は、日本の行政地区のように定められた、ある特定の地域を指す言葉ではないためです。

「中東」は植民地獲得競争のなかで、イギリスが生んだ言葉

 では、どのようにして「中東」という言葉が生まれたのでしょうか。「中東」という言葉は、そもそも19世紀後半から20世紀初頭にかけて、イギリスがヨーロッパの列強との植民地獲得競争のなかで用いた言葉です。

 イギリスにとって「東(East)」とは、植民地である「インド」を意味していました。そのため、インドより東の地域を「極東(Far East)」と呼び、第一次世界大戦の引き金となったバルカン半島などを「近東(Near East)」と呼んでいました。

 そして、「東」であるインドと「近東」のあいだに位置する中間の地域が、「中東(Middle East)」と呼ばれることになりました。その当時の「中東」とは、現在のシリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル、アラビア半島北部、エジプト、イラク あたりまでを指していました。

 さらに、第二次世界大戦後、アルジェリアやモロッコなどの北アフリカの国々を含めて「中東」と認識されることが多くなりました。なぜなら、アラビア語を 母語とする人々を中心に、植民地から独立しようとする運気が高まり(いわゆるアラブ民族運動の高揚)、先に述べた「中東」地域と北アフリカの国々に政治的 な一体性がみられるようになったためです。

 一方、日本の外務省は北アフリカの国々を「中東」には含めず、地理的条件からアフリカに区分しています。

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