羽生結弦(撮影:フォート・キシモト)

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19日放送、TBS「思わずもう一度見たくなる!伝説映像の裏にどえらいエピソード ザ 世界2度見シアター」では、「金メダリスト・羽生結弦の強い志の感動(秘)エピソード!」と題し、ソチ五輪で羽生が見せた“ある技”の背景を伝えた。

先のソチ五輪では、ショートプログラムで101.45という高得点を叩き出すも、翌日のフリースケーティングでは序盤で2度のジャンプに失敗。後に本人も「最後に手をついて立ち上がるまでに“金メダルなくなったな”って思ってた」と語っている通り、このミスにより金メダル獲得の夢は絶たれてもおかしくなかった。

だが、演技後半では羽生本来の見事な滑りを披露、構成点を伸ばし初日の首位を守るかたちで念願の金メダルを手にしたことは周知の通りだ。

すると同番組は羽生が見せたイナバウアーに着目した。番組内では「単体だと得点にならず、男子はほとんどやりません」と紹介されたイナバウアーだが、得点を少しでも上げたい選手たちが様々な構成を考える中、羽生はなぜこの技を取り入れたのか――。

そこには、トリノ五輪フィギュアスケート金メダリストで、イナバウアーを代名詞とする荒川静香さんとの絆があったという。幼少より仙台市にあるアイスリンク仙台で練習をしていた羽生は、同リンクが経営難で閉鎖となり、練習場を失った過去を持つばかりか、羽生の著書『蒼い炎』では「波に乗っていたのに、体力も技術も落ちて棒に振った数年間」と振り返っている通り、スランプに陥り悩み苦しんでいた時期でもあったとされる。

しかし、自身も同所で練習していた荒川さんは、金メダルを獲り最も注目される表彰式直後の記者会見で、仙台市のスケートリンクが置かれる厳しい現状を訴えたのだった。これにより、県と市が動き総額1億円の支援を取り付けると、翌年スケートリンクは再開、羽生は荒川さんが金メダルを獲ったことによって自身もスケートが続けられると喜んだという。

だが、2011年3月11日、東日本大震災の影響でリンクは再び閉鎖。羽生自身も数日の避難所生活を余儀なくされ、「自分はもうスケートできないんじゃないかって思った」とスケートを辞めることを考えたが、ここでも荒川さんが真っ先に名乗りをあげるかたちで4月9日にはチャリティー公演を開催。迷いを抱えていた羽生にとってもスケートを続けるモチベーションが生まれたという。羽生が見せたイナバウアーこそ、2度に渡って競技人生の窮地を救われた荒川さんに対する「感謝を込めたイナバウアー」と同番組は締めた。