小学生の頃からずっと地理が苦手だった。理由は単純で、地図を見てもそれぞれの地域をうまくイメージできなかった――すなわち「地図の読めない子ども」だったのだ。

 それが変わったのは、大人になって旅をするようになってからだ。「聞くと見るとは大違い」とはよくいったもので、実際に自分の足で歩くことでその土地の歴史が見えてくる。たとえば韓国の釜山から対馬、壱岐を経て佐賀の唐津や伊万里まで足を延ばしてはじめて、朝鮮半島の文化や工芸がどのようにして日本列島に伝わったかを実感できる。現在は国境によって隔てられているが、古代には朝鮮半島の南部と九州北部はひとつの文化圏をかたちづくっていたのだ。

 同じような驚きは地中海の旅でも、スケールをひとまわり大きくして体験できる。

地図から分かる地中海の覇権争い

 私たちは、ヨーロッパとアフリカを別の大陸だと当然のように考えている。イタリアやスペインはヨーロッパで、モロッコやチュニジアはアフリカの国だ。

 アフリカについてすこし勉強すると、北アフリカとサハラ砂漠以南(サブサハラ)は人種や民族、文化・歴史が大きく異なることがわかる。北アフリカはイスラムの国で、南に下るほどキリスト教の比率が高くなってくる。北アフリカの原住民であるベルベル人は混血が進んだ結果、南ヨーロッパの人々とほとんど区別がつかない。

[参考記事]
●古代ローマ時代からひもとく、北アフリカのベルベル人の来歴

 そうはいっても、ヨーロッパとイスラムの国はまったく違うのではなかろうか。だがこの“常識”も、実際に北アフリカの地に立つとたちまち崩壊してしまう。乾燥した土地にオリーブを植え、羊を育て、肉や野菜をトマトソースで煮込み、ピザのような丸パンを主食にする北アフリカの生活はシチリアや南イタリアと瓜二つだからだ。

 それも当たり前で、7世紀にイスラムの支配下に入るまで、北アフリカはずっとローマ帝国の属領だった。

 古代アフリカの中心だった海洋都市がカルタゴで、現在のチュニスから東に10キロほどのところにある。

 ここでちょっと説明しておくと、日本では世界史の授業で「カルタゴ」と教えられるが、これはラテン語のCarthagoのカタカナ表記で現地ではまったく通じない。アラブ語では「カルタージュ」、フランス語は「カルサージュCarthage」で、これを知らないとタクシーの運転手に場所を指示することもできない。古代ローマ人は「カルタゴ」と呼んでいたのだろうが、現地で通用しない発音を教えるのは混乱のもとだ。

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