バイアスロン2012-13シーズンW杯年間総合優勝の久保恒造(日立ソリューションズ)は、射撃の名手だ。「風を読む冷静な判断力があり、世界でトップクラスの実力」(日本代表・荒井秀樹監督)という命中率は、W杯を転戦しながら磨いてきた感覚によるものである。

「心拍数の高いところで自動化された"撃つ感覚"は、自分の中でできあがっている」といい、今シーズンも97パーセント以上を命中させ、W杯の表彰台に上がってきた。「射撃なら誰にも負けない」という絶対的な自信を持つ。昨年からはその射撃力に加えて、走力も向上。メダルを争うロシア勢を制するために、万全な準備でソチに入った。

 そして、競技初日には、バイアスロン7.5kmで、自身初めてとなる銅メダルを獲得。水分を多く含みゆるくなった雪上でもスキーがよく滑った。最強のライバル、ロシアのホームだが、雰囲気に飲まれることはない。

 標準を合わせている11日(現地時間)のバイアスロン12.5kmに向けて集中力は高まっているといい、「表彰台のいちばん高いところ」を目指す。

 初出場のバンクーバー大会ではバイアスロン12.5kmで6位入賞、クロスカントリー15キロの7位入賞がそれぞれ最高だった。

 そこから「こんな悔しい思いはしたくない」と、トレーニングを重ねただけに、今回にかける思いは強い。悔しさにうち震えたバンクーバー大会が、久保にとって競技人生のひとつの転機となったのだ。

 高校3年で遭った交通事故で下半身まひになり、リハビリに励んでいたとき、テレビで陸上競技用の車いすレーサーで疾走するマラソン選手を目にしたのが、パラリンピックを目指すようになったきっかけだった。車いすマラソンにのめり込み、2008年夏季北京大会出場を目指すも、日本代表に選ばれず、苦しい時期を過ごした。そんなとき、久保の走りのピッチの速さに着目し、冬競技への転向を強く薦めたのがノルディックスキーの荒井監督だった。同じシットスキー(座るタイプのスキー)の選手で、車いすマラソンの練習仲間でもあったパラリンピック4大会出場の長田弘幸(日立ソリューションズ)の誘いもあり、そのシーズンからスキーに参戦することを決意した。

 長距離陸上選手としてレーサーに乗ってきた久保が最初にしたことは、スキー用具の改造だった。当時主流だった足を前に投げ出して座るタイプのシートを、乗り慣れているレーサーのように正座するシートに作り替え、上半身で生み出す推進力を効果的にスキーに伝えられるようにし、自分のスタイルを作っていった。

 もちろん用具の工夫だけではない。車いすマラソンで培ったスタミナを生かして、ストイックに打ち込むと、すぐに頭角を現し、みるみる世界で戦えるスキーヤーに成長した。

 悔しい思いをしたことで、勝負の真の意味を知った2010年のバンクーバー大会から、歩みをやめず試行錯誤を続けた。ライバルに競り勝つために、練習メニューを見直し、課題だったギアチェンジの手応えも感じるようになった。ストロークを大きくするためにシットスキーのセッティングを変えて、フォームも改造。「(W杯で)優勝したときも、秒差の争いだったから、油断なんてできません」。試行錯誤は、今シーズンのW杯が終わるまで続いた。

 確かな金メダル候補として、2度目のパラリンピックを戦う久保には、もうひとつの目標がある。

 今も夏場は長距離選手として陸上競技に取り組む久保は、今シーズンが始まる直前の10月末、ソチに向けた勢いにしようと、伝統ある大分車いすマラソンに出場。結果は6位だった。

「陸上にはパラリンピックの日本代表になれなかった悔しい思いがある。それに今回もまた悔しい思いをしたけれど、この思いを忘れずスキーでメダルを取り、またここに戻ってきたい」

 夏の悔しさも、力に変える。

 ソチでは7種目に出場。9日のクロスカントリー15kmは、メダルをかけて臨んだものの、14位に沈んだ。ロシア勢にその走力を見せミドルのレースを有利に運ぶために、重要なレースと位置づけていたが、得意の終盤の粘り強い走りを抑え、コースの特徴をしっかり頭に叩き込みながら滑走した。来る勝負の日に向けて体力を温存しようと冷静に判断した結果である。そこには、練習に裏打ちされた余裕があった。

「バンクーバーから4年、表彰台のいちばん高いところを目指してきた。やることはやってきたから、自信がある。あとはコンディションさえ整えば100パーセントのレースができる」

 パラリンピックへの思いが突き動かしてきた久保の競技人生。その第一幕をどんな形で締めくくるのか。金メダルという目標を達成して初めて、自らが突き詰めてきた競技の意味がわかるのかもしれない。

瀬長あすか●文 text by Senaga Asuka