サハラ砂漠に落ちる夕陽(砂嵐のため防水ケース越しに撮影)

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 ずいぶんむかしの話だが、私が大学生の頃はポストモダンというのが流行っていて、みんなが「スキゾ」とか「パラノ」とか呪文のように繰り返していた。「スキゾ」はスキゾイド(統合失調症)、「パラノ」はパラノイア(偏執病)のことだ。

 近代社会はどんどんパラノイアっぽくなって、生きるのが苦しくなってくる。だったらスキゾになって、パラノな社会に対抗しよう。そんなふうに世間のしがらみを軽々と越えていくのがスキゾキッズだ。

 こういう新奇な用語は「新人類の神々(@朝日ジャーナル)」の筆頭だった浅田彰が広めたが、もともとはフランスの哲学者ジル・ドゥルーズと精神分析学者フェリックス・ガタリの2人が言い出したことで、『アンチ・オイディプス』という分厚い本を持ち歩くのがポモ(ポストモダン)のお約束だった。もちろん、なにをいっているのかさっぱりわからなかったけれど。

「スキゾ」「パラノ」といっしょに流行したポモ用語が「ノマド」だ。これは北アフリカの遊牧民のことで、パラノな世界に定住し、権力関係にしばられてにっちもさっちもいかない人生を送るよりも、遊牧民のごとく常に移動し、知の領域を軽やかに横断し、欲望という蜘蛛の巣にからめとられないよう疾走し続けることがポストモダン的な生き方だとされた。浅田の「逃げろや逃げろ、どこまでも」という標語もいまは懐かしい――恥ずかしくてもう口にはできないけど。

「スキゾ」「パラノ」は死語になったけれど、「ノマド」はいまも健在だ。最近では会社に属さず、特定のオフィスも持たず、移動しながら自由に働くライフスタイルを「ノマドライフ」とか「ノマドワーカー」といったりするらしい。

 なぜいきなりこんな話を始めたのかというと、モロッコの砂漠でほんもののノマドに会ったからだ。

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