記者が振り返る。

「そもそも、07年12月に米国から拠点を移したのも母のためでした。周囲には最後まで『更年期障害』と言い、気丈にふるまっていたのですが、肝硬変の症状が重くなってきたのです。帰国を選んだ結果、自己流の練習が続き、五輪で“Lz封印”となりました。1試合で3回、3Aを跳ぶには、より磨きをかける必要があり、Lzをじっくり見直している時間はなかった。でも、あのコンディションで、史上初の3A3発は神がかり。ヨナが完璧な演技をする中、浅田も母の前で3Aをパーフェクトに決めたのです」

 そして、母親の容体悪化を追うように、浅田の不調も深刻化していく。スケート連盟関係者が話す。

「10−11シリーズの低迷中、母親の肝硬変は移植手術が必要なところまで悪化していた。医者から『次のソチ五輪が見られなくなりますよ』とまで宣告されていたそうです。家族3人がドナー検査を受け、11年のオフシーズン中に家族会議があり、6月に舞さんの肝臓を移植することで決まっていたそうです。しかし、直前に匡子さんが『大事な娘の体にメスは入れられない』と拒否。免疫抑制剤が進歩し、HLA抗体が適合していなくても、移植手術はできるようになっていたこともあり、夫の敏治さんが8月11日に手術台に上がりました」

 母の術後経過が芳しくない中、11−12年シリーズがスタートする。初戦はGPシリーズ「NHK杯」だった。デスクが語る。

「昨シーズン、5試合でわずか2度しか成功しなかった3Aの精度は戻らず、SPでいきなり失敗してしまう。佐藤コーチからは『2Aでいったほうがいい』と助言されていたが、最後は本人の意思に任せていたんです。FSを前にして思案にくれる浅田は、4回転という大技を封印して優勝した男子のエース・高橋大輔の戦いぶりを目の当たりにして、佐藤コーチの真意を理解した」

 浅田はFSで3Aを回避し、続くGPシリーズ「ロシア杯」で、“3A封印”を決断し、7戦ぶりの優勝を飾ってGPファイナルへ向かったが、大会直前に匡子さんが危篤状態に陥ってしまう。浅田が緊急帰国した成田空港で携帯電話の電源を入れると、移動中に父が送ったメールが届いた。

「ママは、がんばれなかった」

──14年2月5日、ソチに向けて出発した浅田は、FSで2回跳ぶ予定にしていた3Aを1回に減らし、SPを含めて2回にすることを明かし、

「バンクーバーで跳べなかった全種類の3回転ジャンプを入れたい」

 と、苦手としてきたルッツを含む、6種類の3回転挑戦に意欲を見せた。

「通称『エイト(8)・トリプル』は、成功すれば五輪で女子初の快挙となる構成です。基礎点10.4点と最大の得点源となる連続3回転ジャンプも、『練習で好調』と語っており、演技に組み込むようです」(スポーツ紙記者)

 母の死を乗り越え、3Aとルッツの融合を決意した浅田。彼女の進化した姿はまもなく見られる。