「これまで見たなかで、いちばんの表情。最高の演技でした。メダルを取れなかったのは残念ですけど、私は金メダルをあげたい」と語るのは、高橋大輔選手(28)の実母・清登さんだ。岡山県にある母校・倉敷翠松高校で、涙ながらに見守った清登さん。演技を終え6位入賞となった息子へ、母は大きな拍手を送り「ご苦労様」と言うように頭を下げた。

昨年11月には右ひざの故障に見舞われるなど万全の態勢ではなかった高橋。それでも試合後、彼は精一杯の笑顔で「気持ちだけは諦めずにやれたことがよかった。キツイことのほうが多かったけど、自分にとっては最高のソチでした」と取材に応じ、支えてくれた人たちへの感謝の言葉を述べていた。そんな姿勢を清登さんが喜ぶのには、理由があった。

高橋は、高3から大学1年にかけてスランプに陥り引退を考えていたという。彼は当時から資金面でも周囲のサポートを受けていたが、それがプレッシャーとなり「フィギュアが楽しくない。もうやめたい」と漏らしていたのだ。

「このままでは、大輔が一生ダメになると思いました」と当時を振り返るのは、清登さんが働く理髪店の店主の長女・初瀬英子さん。高橋の名づけ親であり、多忙な清登さんに代わってフィギュア生活を支えてきた。高橋にとって家族のような存在だった彼女は、当時の最大の危機についてこう続ける。

「大輔は、まるで別人のようになっていました。態度も悪く、フィギュアも『やらされている』といわんばかりの投げやりな感じで。私が怒ると『やめたいのに、やめられない。それがどんなに苦しいか、お姉ちゃんにはわからんやろ!』と叫んだんです」

ふだんは温厚で礼儀正しい高橋からは、想像もできない激しい言葉だった。だが、初瀬さんはあえてこんな言葉を返したという。

「私は『お世話になった人たちには、お父さんやお母さんが土下座してでも謝る。そんな気持ちでフィギュアをするくらいなら今すぐやめてしまえ!』と言いました。大輔には、フィギュア選手としての技能以前に、人間として大切なものがあると気付いてほしかった。お母さんも同じ気持ちでした」

荒療治が効いたのか、再びフィギュアの世界に戻ってきた高橋。その後も数々のピンチに陥ったが、彼の口から「やらされている」という言葉は出なかった。最後まで自分が楽しんで滑ること。ソチ五輪まで続けてこられたのは、そんな信念があったからだろう。