今週はこれを読め! SF編

 昨夏、本欄で大森望編のオリジナル・アンソロジー『NOVA 10』(河出文庫)を紹介したとき(「瀬名秀明「ミシェル」が凄い! 小松左京2大代表作を取りこんでさらなる高みへと到達」)、集中最大の注目作として瀬名秀明「ミシェル」に言及した。本書は、その「ミシェル」を含む三篇をひとつにまとめた連作集である。たんに設定が共通している、物語が続いているという次元の連作ではない。それぞれが別個のテーマを展開しながら細部と細部が結びつき、共振しながらより包括的なヴィジョンへ昇っていく。そのテーマとヴィジョンは、日本SF界きっての思考者・小松左京を継承するものだ。



 巻頭に置かれた表題作では、太平洋の小島と宇宙とが短絡する。世界を放浪をしてこの島にたどりついた青年、遠藤秀昭は学術発掘の作業員として働くなか、マリアという女と出逢う。黒髪で小柄だがモンゴロイド以外の血がまじっている風貌。はじめて会うふたりだが、すぐに自分たちは同じ人種----すなわちアフリカから何万年もかけて世界へと進みつづけたラピタ人の末裔----だと直感する。地球を見わたす灯台の最上部で抱擁し、快楽に浸りきり、何度となく登りつめる。マリアの身体はオセアニアの大気に染まり、強烈な母性へと還っていく。遠藤は宇宙を抱いていると実感する。



 作品中に文明論的な叙述があるがそれは物語を直接動かすものではなく、あくまで前面に展開するのは生命そのもののエロティシズムであり、宇宙と直接つながっている実感だ。この作品のたたずまいは、小松左京の「岬にて」や「あなろぐ・らう゛」を髣髴とさせる。



 いま引き合いに出した二編は壮麗なイメージの佳作だが、打ちあけていうと、ぼくはこれら中期作品(1970年代中期)あたりから、ちょっと距離をおいて小松作品を読むようになった。小説の面白さはともかくとして、大風呂敷な思想(いわばSF的な視野)に"引いて"しまったのだ。その最たるところが多くのひとが傑作とみなす「ゴルディアスの結び目」で、「人間精神の暗部がそのままブラックホール」というアイデアは凄いといえば凄いのだけど、けっきょくは"見立て"にすぎないのではないか、と思った。異質なものを結びつけたり常識にとらわれない角度からものごとを眺めるのはたしかにSFの醍醐味ではあるが、"見立て"にとどまっていては本質的な問いにはならない。それでは通俗的な「心の闇」やセンセーショナルな「不思議な天体」と大して変わらないだろう。



 あるいは、そう考えるのはぼくの理解が浅いだけかもしれない。----と『新生』を読み、いまさらながらにそう考えている。ぼくが引いたところを瀬名秀明はさらに深く踏みこみ、小松左京が作品執筆した以降の科学や技術の成果、小松左京が吟味していなかった(ただし小松作品のなかに萌芽としてある)哲理を取りこみ、人間と宇宙が直接につながっていることを----つながってしまうことを----新しい小説として示してみせる。



 巻頭の「新生」がそのパース図だとしたら、二番目の作品「Wonderful World」は力強い補助線の役割を果たす。この作品の起点は、きわめて素朴でSF作家が口にするには身も蓋もない「問い」だ。すなわち、人間が描く未来像はことごとく的外れに終わるのか? 新しい技術の波及効果や新しいプロジェクトの影響はかなりの確度で見積もることができる。しかし、それはミクロシステムの(局所的な)観測であって、それがマクロシステム(現実の未来)のうねりにどうつながっていくかを、科学者もコンサルタントも小説家も捉えることができない。しかし、この物語のなかで、そのミクロとマクロをつなげるシミュレーション・システムが完成する。多様なミクロの要因がマクロとして発現するカギは倫理であり、それは人間相互のコミュニケーション活動によって動的にふるまい、ある臨界点を超えると一挙に社会を変える。いわばパラダイムシフトが起こるのだ。



 このシミュレーション・システムによって、人類ははじめて「どのような未来に進みたいのか」を現実的に考えられるようになる。それは必ずしも僥倖ではない。人類の未来と自分の将来を切りはなして考えられる人間のほうが少なく、それは衝突と混乱を呼ぶからだ。では、どうやって未来を決めればいいのか? 



 この葛藤を描くこと以上に、この作品が本書全体のなかで大きな意味を持つのはミクロとマクロの結びつきだ。これが最後の作品「ミシェル」でスケールアップして、総合的に展開される。ミクロは人間もしくは人類であり、マクロとは宇宙にほかならない。



 この作品では、ふたつの物語が交互に進む。ひとつの物語の主人公ミシェル・ジェラン(彼は前述の倫理シミュレーション・システムを主導したマルセルの息子だ)は、音楽・言語学・理論物理の領域にまたがる天才で、これら分野の壁を貫いて宇宙普遍の統一理論を探究しつづける。彼がつかもうとしているのは、つまりミクロとマクロをつなぐ根拠だ。



 もうひとつの物語の視点人物がマイクル・ジョン・ダン博士で、彼は要塞のような精神病院を訪れる。そこはかつて大事故が起こり、いまも収縮しつづける「マリアの部屋」を抱えた施設だ。お察しのとおり、この物語は小松左京「ゴルディアスの結び目」と連続しているのである。それにしても、このマリアは「新生」に登場する地母神的なマリアと同一人物なのだろうか? ただし、ジョン・ダン博士の目的はマリアではなく、別な入院患者、人工実存の産みの親である遠藤秀夫だった。この遠藤の父親は、若いころ世界を放浪しのちに地球物理学者となった遠藤秀昭である(このように本書の各話はストーリー上でも連関している)。精神を閉ざした遠藤の意識をさぐるため、ジョン・ダン博士は人工実存アンジェラE(遠藤の妻を転写してつくられた)を遠藤の内部へと送りこむ。アンジェラEがそこで見いだしたものは宇宙空間に浮かぶ巨大構造体だった。



 なんと、精神のなかに虚無回廊が出現する! それだけではない。これと平行して語られるミシェルの物語では、外宇宙に虚無回廊があらわれるのだ。はたして、ふたつの物語はどうつながっているのだろうか? いずれにせよ、ここまでくると「小松左京へのオマージュ」などと言ってすまされるレベルではない。「小松作品を霊感源にした」よりも、さらに積極的な取り組み。いっそコラボレーションと呼ぶべきかもしれない。もちろん、それは瀬名秀明のオリジナリティが低いということではない。まったく逆だ。先に述べたようにテーマとヴィジョンを継承するだけでなく、物語構造としても小松作品を取りこみ多層化している。それは『新生』を豊穣にするだけでなく、小松作品をも活性化する。



 さて、ミクロとマクロとを結ぶミシェルの企て、人間と宇宙とをつなげる小松-瀬名の思想は、「ミシェル」終盤でコミュニケーション論/生命論としていちおうの形をとる。ただし、それはそこで止まるものではなく未来へと委ねられるものだ。


 あるいは、これから書かれる瀬名作品でさらに先のヴィジョンが描かれるかもしれない。それがどんなものになるか想像もつかないのだが。



(牧眞司)




『新生 (NOVAコレクション)』
 著者:瀬名 秀明
 出版社:河出書房新社
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