パリでの展示会の『KACHI-UMA』

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海外を足がかりに福島の伝統工芸が世界に羽ばたこうとしている。パリ郊外ヴィルパントの展示会会場で行われたインテリア見本市「メゾン・エ・オブジェ」にて、福島の陶芸・大堀相馬焼が日本ブースで展示され、フランスの専門家たちの目に触れた。福島の陶器が、なぜ今パリから世界をうかがおうとしているのか。

福島原発の事故で立ちのきを余儀なくされた福島県浪江町。ここには300年前から息づく伝統工芸、大堀相馬焼があった。事故後、25軒あった窯元は一時すべて廃業、全国へ離散した。震災の翌年から場所を同県二本松市に移し、土を愛知県瀬戸市から取り寄せつつ、共同窯を構えて6軒が復興したが、江戸時代から続く陶芸の技は一気に衰退の危機に陥った。

そこで海外展開をきっかけに、大堀相馬焼を復興させようと立ち上がったのが窯元の1つ「松永窯」の4代目、企画会社「ガッチ」社長の松永武士さんだ。松永さんは父・和夫さんが焼いた陶器に、「明日を駆ける馬」をモチーフに若手デザイナー10名の絵を付け、『KACHI-UMA』というブランド名で陶器の販売を始めた。馬の絵柄は大堀相馬焼の伝統である「走り駒」に由来する。常に左を向いた旧相馬藩の御神馬は、「右に出るものがない」という意味の縁起物として扱われてきたものだ。

斬新な絵柄を伝統工芸に取り入れ、積極的に海外展開をもくろむ松永さんだが、それまでには親子の間で議論があったそうだ。江戸時代、大堀相馬焼は大衆向けの器として始まった。南部鉄器の鉄瓶がカラフルな色を取り入れ海外で広まったように、伝統的な図柄はもちろん、各国の生活スタイルに合わせたモダンなものを展開し、ニーズに合わせてくことで、大堀相馬焼の海外での認知度を高めたいと松永さんは考えた。海外でブランド価値を高め需要を増やし、魅力的な職場として大堀相馬焼に若い人が関心を持つことで、震災後全国に散らばった陶芸関係者や後継者問題の解決にもつながる。

今回のパリでは、フランス国内の小売店の他にロンドンのショップなどからも問い合わせが来た。パリ市庁舎で行われたレセプションでも商品に対する質問が相次いだ。欧州の日本茶に対する関心は高く、その流れに乗って大堀相馬焼を良さも理解してもらう。売り込みの手応えはあった。

2月14日から18日まで、米サンフランシスコ・インターナショナル・ギフトフェアで出展が行われた。3月はマレーシアの伊勢丹クアラルンプール店でのジャパンフェアと、今後もイベントは相次ぐ。他にもベトナム・ホーチミンにある日本のアンテナショップに卸したり、国内では銀座三越やインテリアブランドJ-PERIOD(ジェイ・ピリオド)が扱う。9月には海外百貨店とのコラボレーションもする予定だ。

大堀相馬焼が海外を機会に復興を試みることは、じつは新しい流れではない。江戸末期の最盛期には100戸を超えた窯元も、明治以降の他産地との競合や第2次大戦の打撃により大きく落ち込んだが、進駐軍の日本土産をきっかけに、戦後米国向けに販路を拡大することで復興した。松永さんはパリを足がかりに、その歴史を再現したいと意気込む。

午年と共に『KACHI-UMA』プロジェクトはまだ走り出したばかりだ。海外を皮切りに右に出るものがいない走り駒となれるのか。大堀相馬焼の復興はパリで駆け出す準備を整えつつある。
(加藤亨延)