ソチ五輪で一喜一憂している人も多いはず。しかし人の本性は失敗したときに現れる。メダルを逸した選手への大人な残念がり方を、大人力コラムニストの石原壮一郎氏が伝授する。

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 ソチでは連日、熱戦が繰り広げられています。どの国の選手もがんばってほしいとは思いつつ、やはり日本選手の活躍を期待せずにはいられません。前評判どおりに実力を発揮して、あるいは予想をいい方に裏切って、見事にメダルを獲得してくれた場合は、「よくやった!」「たいしたもんだ!」と素直に賞賛すればいいだけなので話は簡単です。

 しかし、ソチの水は甘いぞ、というケースばかりではありません。メダルを期待されていたのに、時の運に恵まれずに結果を残せない選手もいます。本人の無念さは、テレビの前でのほほんと見ているだけの私たちの想像をはるかに超えているでしょう。

 言うまでもありませんが、にわかファンの立場で勝手に期待して、十分にワクワクさせてもらっておきながら、期待外れの結果が出た途端に「だらしないなあ」と非難したり「裏切られたよ」と責めたりするのは、大人としてどうこうという以前に人間として論外。わかりもしないくせに敗因を分析したり、試合後にインタビューを受けたときの表情やコメントにケチをつけたりするのも、同じぐらいトホホでダメダメな行為です。

 もっとみっともないのが「税金を使って行っているくせに」という言い方で、さも自分は正当な批判をしているんだという顔をすること。「税金を使って〜」というセリフを口にするのは、自分は貧しいプライドしか持ち合わせてなくて、人の弱み(に見える部分)に喜んでつけ込む人間で、しかもちょっと考えが足りませんと宣言しているも同然です。

 たしかに選手には税金が使われているかもしれませんが、偉そうに批判しているヤツが世話になっている道路などの生活インフラや教育や福祉のために使われている税金に比べたら微々たるもの。よっぽどの高額納税者以外は、実際に払った税金ではとてもまかなえない恩恵を受けています。選手を派遣するのにかかった税金と、そういう他人の足を引っ張って喜んでいるヤツのために使われている税金と、さて、どっちが無駄でしょうか。

 やや話がそれましたが、日本中が残念がるような結果が出た翌日、もし会社でこういう態度を取ったら、自分は気が利いていることを言ったつもりでも、部下や後輩には「ああ、ここまでチンケな人間だったのか」「この人はイザというときに自分を守ってくれないな」「今よくわかった。こいつは絶対に出世しない」と思われて、たちまち見切りをつけられるでしょう。家族の前で言った場合も、もともと少ない父親の威厳は完全に消滅します。

 ただ、実際にはそういう「やっちゃいけない反応」をする人が多いだけに、ここは大人を上げるチャンス。懐の深さや包容力や思いやりにあふれた残念がり方をすることで、周囲の尊敬を集めたり、意中の女性に「あら、素敵」と思ってもらったりしましょう。

 まずは「よく頑張ったよね。立派だったよ」とねぎらい、さらに「あの状況で、あのコメントは言えないよなあ」とインタビューの受け答えを称賛します。仮に「応援してくれたみなさんに申し訳ない」といった謝罪の言葉があったとしたら、選手がそういうことを言わざるを得ない日本の雰囲気を嘆き、「申し訳ないのは、こっちのほうだよ」と謝意を示しましょう。選手にはまったく届きませんが、周囲には「おっ」と思われます。

 さらに「夜中に公民館で応援していた地元のじいさんばあさんが(or所属企業の同僚やお偉いさんたちが)、あの選手をあたたかく迎えてあげるといいなあ」と、帰国後に辛い思いをしないかを心配したり、「○○選手のおかげで、あの競技に関心が持てたわけだから、ありがたいよね」と感謝したりするのもオススメ。心無い質問をするインタビュアーなどマスコミの報道を批判するのも、自分の株をお手軽に上げるための堅実な手法です。

 あの手この手で十分に大人を上げることができたときには、残念な結果に終わった選手へのねぎらいの気持ちや健闘を称える気持ちが心の底から湧いてきているはず。多少の無理は必要かもしれませんが、そういう心境になるためにも、大人としてのやせ我慢や美学を貫くためにも、よかたらやってみてください。いわば大人の緊急ソチです。