時実新子(ときざね しんこ)という、日本を代表する川柳作家を知っていますか。1929年生まれの彼女は17歳で嫁ぎ、主婦としての、そして女としての情念やエロスを川柳で表現しました。「川柳界の与謝野晶子」とも呼ばれた彼女。『有夫恋』(朝日文庫、92年)の中から、女の心揺さぶる4句をお届けします。

    「包丁で指切るほどに逢いたいか」(69頁)

主婦として食事の用意にいそしむ夕刻。想いを寄せる相手のことを考えていたら、包丁を持つ手がすべって指を切ってしまった。ツーっと流れる血を見つめながら思わず苦笑する。「無意識にあの人のことを考えていた主婦の私」にひそむ、確かな「女」。そんな自分をどこか第三者的に、冷静に見つめているような一句です。

    「凶暴な愛が欲しいの煙突よ」(53頁)

誰でもいいの、とにかく私を「女として」愛して欲しいのよ、狂おしいほど…激情の独白と共に、突如あらわれる無機質な「煙突」。その不気味な存在感に、思わずギョッとします。「煙突」に男根の暗喩をみる向きもあるでしょう。熱情を感じさせる「愛」と、冷たい「煙突」の組み合わせ。女のエロスというには余りにも不気味な奥深さのある一句です。

    「手が好きでやがて全てが好きになる」(115頁)

はじめは「指がキレイね」ほどの思いで見ていた相手。やがて自分でも知らぬうちに、その全てを愛するようになっていた。「手が好き」から「やがて全てが好きになる」へと一気に流れゆく彼女の川柳。激しい濁流のような女の欲望に、「男」の存在が飲み込まれてしまいそうです。

    「飛行機の降りる角度は愛に似る」(138頁)

高い上空にあった飛行機が、ゆるやかに旋回し、だんだんと滑走路へ近づいていく。その降りる角度を、愛が冷めてゆく様子と重ねています。同じ頁には、「飛行機の昇る角度は恋に似る」という句も。急速に角度を上げて盛り上がる「恋」に対し、ゆっくりと、知らず知らずのうちに冷めてゆく「愛」。これほど淋しく冷静な表現を他に知りません。

時実新子の川柳、いかがでしたか。「女」というものの業について深く考えさせられる名句がいっぱいの『有夫恋(ゆうふれん)』。恋愛中の人もそうでない人にもオススメです。

(文=北条かや)

画像:Original Update byChrissy