トップアスリート11人の履歴をつづった「プロフィール」(講談社刊)の浅田真央篇には「妖精は家族の献身で跳ぶ」というサブタイトルが付けられている。著者・増田晶文氏が語る。

「とても絆の強い一家という印象を受けました。外から見ていると、1人のアスリート、1つの才能を育てるために、母は姉ではなく妹を選び、姉も妹に譲り、父も姿を消すようにして見守る。それでいながら家族がバラバラになることはなく、次女を扇の要に置いて、それぞれのベクトルがそこに向かっていたと思います」

 父である敏治さんがメディアに出ることはないが、マスコミ嫌いという理由だけではないようだ。

「バンクーバー五輪の前年に会いました。当時は、両親への踏み込んだ取材ができるのは特定の媒体とライターに限られていたので、私は訪問の無礼をわび、質問をしたものでした。その際、どなったり、手で払うように門前払いをされることもなく、ソフトな物腰でしたね」(前出・増田氏)

 敏治さんは元ホストクラブ経営者で、当時の知人に、取材に応じない理由を聞くと、「自分の因果を、我が子に背負わせようとする親がいますか」と語ったという。つまり自分の過去が原因で浅田にいわれなき中傷を浴びせられるのを避けるため、身を潜めているというのだ。

「その言葉を投げかけると、ぎこちなく笑い、『そういう、ことです』と短く答え、沈黙が続きました。一瞬、何か言いたげにも見えましたが、『娘を応援していただいている皆さんには感謝しています』と頭を下げられた。非常にジェントルでいながら毅然としていて、『これ以上は立ち入ってくれるな』と言われているようでした」(前出・増田氏)

 家族の支えによって、浅田とキム・ヨナはさらなる高みへと向かっていった。

 バンクーバー五輪まであと2年と迫った08−09シーズン、2人はキム・ヨナの地元で開催したGPファイナルで最初の火花を散らす。スポーツ誌編集者が話す。

「ともにGPシリーズの2戦目で191点台の好記録をマークして挑んだ大会だけに、注目が集まった試合でした。まずショートプログラム(SP)でヨナが安定したスケーティングでトップを奪い、逃げ切り態勢に入るも、フリースケーティング(FS)で浅田が3Aを2発、鮮やかに決めて逆転優勝をさらった。完全アウエーの中での国際大会史上初となる3A2発だっただけに、“チーム浅田”のムードも盛り上がりましたね」

 このシーズンの浅田は、ロシアのフィギュア界の重鎮のタラソワの下、多くの課題に挑戦していた。用意されたプログラムは、バレエの芸術性や複雑なステップが取り入れられ、苦手のルッツも加わり、フリーではお約束の3Aを2度も跳ばねばならない高難度の振り付けだった。それは「ノーミス」で滑ることができれば、女子史上初の200点台を軽くオーバーする演技構成だった。

 しかし、意外な騒動が“チーム浅田”に水を差し、浅田はキム・ヨナに敗北を喫する。韓流偏向が指摘されたフジテレビが、GPファイナル後、自身の情報番組で、まるで浅田よりもキム・ヨナが上という内容の放送をしたのだ。

「後日、フジが謝罪する事態になりました。続く四大陸選手権(キム・ヨナが優勝)では浅田の右膝が故障しているという報道を共同通信社が配信したのです。さらに3月の世界選手権の開幕直前には、キム・ヨナが『競争相手の選手に試合直前の練習で妨害された』と発言、韓国メディアが犯人を日本人選手と断定するような報道を流し、大騒動になります。これらのことで浅田はナーバスになり、集中力を欠いてしまったのです」(スポーツ誌編集者)

 当時、取材に浅田の母・匡子さんは、語気を強めて、こう訴えた。

「真央の邪魔だけはしないで!」