拠点を日本に移した浅田のために、父、母、姉が一身を投げ打つ。一方、浅田を猛追するキム・ヨナの強靭なメンタルを作り上げたのもまた家族だった。そして、スランプに陥った浅田と必殺技を進化させたキム・ヨナはバンクーバーのリンクの上で冷たい火花を散らした。

 07年12月、浅田真央(23)は練習拠点を米国のカリフォルニアから中京大アイスアリーナに移した。この時、姉の浅田舞(25)も一緒に帰国するのだが、スケート選手としての舞をスポーツ紙デスクが語る。

「高校選手権覇者の彼女は、02年、03年の全日本ジュニア選手権で準優勝に輝きます。将来を嘱望されていましたが、04年の同大会でそれまで4位だった真央に逆転されてしまうのです」

 05年3月、舞はタレントオーディションでグランプリに輝き、芸能プロダクション「ホリプロ」に所属し、愛知万博でモデルデビュー。ドラマ出演もしたが、スケート連盟の「競技者登録規定」に照らし、スケートと本格的な芸能活動の両立は難しいと判断。06年にホリプロを退社し、夏には、妹と一緒に拠点を米国に移し、再びフィギュア一本の生活となった。

「06−07シーズンのSPの振り付けがニコライ・モロゾフですから、舞の意気込みは相当なものでした。コーチとの相性もよく、非公認ながらフリーのパーソナルベストも叩き出し、GPシリーズにも参戦しました。ところが、07年のシーズン中、ホームシックにかかった真央の希望に合わせ舞は一緒に帰国します。その後はスランプに陥り、09年度にはシニア強化選手の枠から漏れてしまう。誰の目にも、妹・真央のために表舞台から去ることを覚悟しての帰国だったと映りました」(前出・デスク)

 真央と舞との関係は、キム・ヨナ(23)と姉キム・エラとの関係に相似する。韓国在住のフリーライターが語る。

「エラさんはヨナの2つ上です。母親のミヒさんは、浅田ママと同じように練習の送迎はもちろん、スケートを独自で勉強し、コーチ不在の日は鬼コーチとなって教えていました。小規模なメッキ工場を営む父親の収入だけでは家政婦を雇えるような環境になく、エラさんはそれまで続けてきた習い事を全て辞め、学校から戻るとヨナの好きなパンに合う食事を作るなど、家事をしていたそうです」

 家族のキム・ヨナへの期待の大きさは、母親の課すハードな練習内容にも見て取れるという。

「例えば、小さい頃は姿勢を修正させるために針金のギプスのようなもので体を固定させたり、ジャンプの精度を高めるためにと、竿のようなものにヒモでつるされながらの練習もしていた。ヒモが緩んで首に巻きついたこともあり、命がけの練習だったそうです」(前出・韓国在住ライター)

 釣り竿特訓の効果をフィギュア解説者の佐野稔氏はこう解説する。

「日本でも似たような装置を作ったところがあるようです。空中感覚を養うためだとは思いますが、私は有効な手段だとは思わない。さまざまな評価があると思いますが、結果が出ていない。伊藤みどりも浅田もやってないし、キム・ヨナにしてもトリプルアクセル(3A)には結び付いていませんからね」

“針金ギプス”で体を縛り上げるなど、まるで「巨人の星」の大リーグ養成ギプスを彷彿とさせる修羅特訓の日々をキム・ヨナ本人は自伝エッセイ「キム・ヨナ7分のドラマ」の中で、こう話している。

〈朝起きるやいなや練習の準備、休憩の後に練習、そしてまたも練習。「運動するロボット」になったかのようだった。狂ってしまうのではと思うときもあり、何よりもさみしかった〉

 キム・ヨナは小学校6年生の時に靭帯を痛めるのだが、ちょうどその時、父親の会社経営が悪化する。困難な時期を一家で乗り越えたことで、キム・ヨナのメンタルは鍛え上げられていった。

「(キム・ヨナは)軍人のようだ」

 中学時代の恩師は、当時の彼女の印象をこう語っている。

◆アサヒ芸能2/4発売(2/13号)より