「親バカと言われるかもしれませんが、娘の演技を見て、正直、もう最高でした!」

昨年12月の全日本選手権で初優勝し、ソチ五輪出場を決めた鈴木明子(28)。愛知県豊橋市で営む割烹料理店でテレビ観戦していた父・和則さん(67)は嬉しそうにそう語る。

フリー種目で、鈴木は7つのジャンプをすべて成功、スピンやステップでも最高難度のレベル4を獲得するなど完璧な演技を見せた。結果、浅田真央に逆転勝利し、13回目の出場で見事、全日本初優勝を飾ったのだった。和則さんが感慨深げに続ける。

「娘はスケートを始めて22年、全日本にチャレンジして13年。これまで嬉しいこともありましたが、負けて悔しい思いをすることの方が多かったと思います。だから一度ぐらい勝って喜んでもいいんじゃないでしょうか(笑)」

22年のスケート人生で最大の試練といえば、摂食障害に苦しんだことだろう。03年、東北福祉大学に進学した鈴木は、初めて親元を離れ仙台で1人暮らしを開始。だが完璧にこなそうとするあまり精神的に追い詰められ、摂食障害に。48キロあった体重は、3カ月足らずで32キロに激減した。和則さんは、09年11月に女性自身の取材でこう語っている。

「もう別人でした。激痩せというんでしょうか。頬もこけてしまって……。かわいそうで声もかけれんかったです」

そんな実家に戻った鈴木を母親は付きっきりで看病し、和則さんも回復に向けて必死に支え続けた。和則さんはいま改めて“苦悩の日々”を振り返る。

「あの病気になると、みんな表に出たがらないそうです。年ごろの女の子があれだけ痩せしてしまったら、そう思うのもわかります。でも、娘はフィギュアをやっていたからこそ『またみんなの前で滑りたい!』と負けん気が湧いてきたのだと思います。もしフィギュアをやっていなければ、あのまま回復できたかどうかわかりません……」

今季での引退を表明している鈴木。和則さんはどんな言葉でソチへと送り出すのか。

「いつもどおり『気をつけて行っといで!』だけです。頑張れとか、ほかの言葉は何も言うつもりはありません。五輪ではチャレンジしてほしいです。メダルとか関係なく、練習でやれていることを、本番でちゃんとやりきってほしい。私は、それでもう十分です」