前回の続き。


■1968年、東京六大学・春季リーグ戦は、田淵幸一、山本浩二(当時、浩司)、富田勝の三羽烏を擁した法政大が優勝した。「史上最強軍団」と呼ばれた打線が爆発、チーム打率.346を誇り、連覇を果たした。

まず第3週の対早稲田大戦。1回戦は早稲田の小川和邦、安田猛らに21安打、20得点を奪い完勝。続く2回戦も三羽烏を中心に18得点を挙げて勝ち点を挙げた。

さらに第6週の対慶応義塾大戦は1回戦をエース・山中正竹で勝利し王手をかけると、2回戦は江本孟紀を投入。「大事な試合を任されて感激した」という江本は、187cmの長身から力のあるストレート、タイミングを外す変化球を駆使して早稲田打線を翻弄。江本は山中に劣らぬ安定した投球で完投し、胴上げ投手になった。


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(写真)法政が春季リーグ戦に優勝した直後の一枚。左から富田、山本、田淵。
〜 『大学野球熱闘史』(ベースボール・マガジン社) 〜


■そして秋季リーグ戦。春は法政に大敗した早稲田だったが、秋には雪辱した。
主砲・谷沢健一は憎き法政・山中攻略のため、山中と同じ左腕の安田を打撃投手にして、カーブを左中間を狙って打つ練習を繰り返したことが功を奏した。 
安田とは、後にヤクルトで活躍する安田猛のこと。早稲田では谷沢と同期だった。リーグ戦の通算成績は4勝2敗と冴えなかったが、大学卒業後に進んだ大昭和製紙時代に花開いた。時速60kmのスローボールを習得してチームを優勝に導き、さらに橋戸賞を受賞した。

ヤクルト時代の安田をよく憶えている。相手打者を小ばかにしたようなスローボールは、テレビを見ていて十分笑えた。だが安田の福岡・小倉高時代はまったく逆、剛球唸る速球派の投手だった。もちろん地元では名を馳せた投手で、1965年(昭和40年)の夏の甲子園で優勝した三池工高は、県予選を勝ち上がるため安田対策に腐心したという。
※このことは、『炭鉱町に咲いた原貢野球』(澤宮優著、現代書簡」に詳しい。


■さて、最後に日本大学野球選手権のこと。
決勝は法政大(東京六大学)と駒沢大(東都)が戦い、法政が12−3で圧勝した。
ボクが興味をもったのはその結果よりも、両校のメンバー表だ。懐かしい名前がずらりと並んでいる。

まず法政。
3番(5)富田勝、4番(2)田淵幸一、5番(9)山本浩二。

一方の駒沢。
1番(7)木下達男、3番(9)内田順三、4番(2)大矢明彦、8番(1)野村収。

そして、7番(4)に山下智茂という名前が見える。
元・星稜高監督の山下さんなんだろうな、きっと・・・。