「さよならタマちゃん」

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「さよならタマちゃん」(武田一義著、講談社)

2人に1人。日本人が「がん」に罹る確率である。ありふれた病でありながら、「死」を連想させるためか、日頃、多くの人々が気にはなりながらも敢えて意識下に押し込めている病気。しかし、それは突然にやってくる。心の準備など無い中で、突如、告知され、治療が始まる。手術、抗がん剤等の治療の苦しさのみならず、家族、仕事、お金の心配、そして、何より、「死」という究極の問題に向き合うことを余儀なくされる。本人だけでなく、家族も、大きく混乱し悩む。

本書は、35歳のマンガ家のアシスタントが自らの体験を描いたがん闘病マンガ。病名は、がんの中でも珍しい精巣腫瘍(年間千数百件)。抗がん剤が効く比較的予後の良いがんだが、著者の場合、肺への転移があったため、徹底的な抗がん剤治療が必要となった。

新聞で本書の紹介記事を読み、筆者自身、家族が最近、類似の体験をしたこともあり、思わず手に取った。

1冊のマンガに「人生」が詰まっている

プロローグを含めて全26話、わずか278ページの1冊のマンガに、がん患者と家族が体験する様々な状況、そして、心の中に湧き起こる感情や気持ちが、しっかり描き込まれている。

最近流行りの医療ドラマのようなヒーローはどこにもいない。名医も、ナイチンゲールも、また、がんを潔く受け入れ「立派に」死んでいく患者も登場しない。ただ、そこに描かれているのは普通の私達。突然、がん患者という境遇になり、戸惑い、混乱し、そして、葛藤の中にあって、「生きることとは何か」を感じとっていく様子が、淡々とした筆致で描写されている。

「重い」テーマであるし、抗がん剤治療の苛烈さ(極度の吐き気、味覚・嗅覚・聴覚の異常、うつ症状等)、同室の高齢のがん患者の再発・死亡、治療後の再発の恐怖など、数々の厳しい現実が描かれているが、不思議にも、読む者に深く、静かな感動を与える。絵柄や筆致の影響もあるのだろうが、著者が自らの体験、そしてその時の心持ちを十分に咀嚼した上で、力むことなく、素直に、表現しているからだろう。

治るがんと治らないがん―抗がん剤治療をどこまでやるか―

著者が肺への転移を告げられた際の主治医の言葉。

「当院で精巣腫瘍の治療をした方はこれまでに68人いました。67人が治療を終え社会に復帰し亡くなったのは1人だけです」、「精巣腫瘍は治せるがんです。ただ、この亡くなった1人の方、私の担当ではなかったのですが、改めてカルテを見返してみても、私も同じ治療をして同じ経過をたどってしまったとしか思えません」、「決して油断しません。徹底的にがんを叩くきつい治療を行います。どれだけ泣いても構いませんのでやり遂げてください」

著者は、「治る」可能性を信じ、強烈な抗がん剤の副作用に耐えた。しかし、残念ながら著者のように抗がん剤が有効な場合ばかりではない。むしろ、現実には、治癒が見込めないことも多い。実際、抗がん剤は回を重ねるごとに副作用が厳しく出てくるという。また、吐き気、下痢、痛みなどの副作用は、患者自身のQOL(生活の質)を損ない、治療中は、人格すら歪めてしまうこともある。「治る」ためのプロセスなら、厳しい副作用も覚悟できるだろうが、わずかな期間の延命だとすると、躊躇を覚えるのも正直なところだ。

他方、患者自身の葛藤もある。治る、治らないの違いも所詮、確率の問題。「どーせまたダメだろーって思っちゃいるんだ。思っちゃいるんだけど、ちょっとは期待しちゃってる」とは同室の前立腺がん患者の言葉。

どの治療法を選択するのか、いつまで継続するのかなど、判断はとても難しい。最近、再び近藤誠医師の抗がん剤治療不要論などがメディアを賑わしているが、重要なことは、患者自身が、人生のラスト・ステージを、その人らしく生きることができるかであろう。がん治療の在り方は、徹頭徹尾、こうした視点から考えられるべきことと思う。

支え合う夫婦、がんを通じて、新しい人生を知る

治療が苛烈であること、そして、否応なしに「死」を意識せざるを得ない極限状況となること、この2点だけでも、がん患者にとって、心の支えは、とてつもなく大切だ。そして、それは、がんと闘う患者だけでなく、その家族にとっても、同様に切実だ。

本書では、著者自身や同室の患者の状況がよく描かれている。夫婦の結び付き、交流の乏しかった子どもとの交わりなど、リアルな話がどんどん出てきて、我が体験も重ね合わせ、思わず涙を禁じえなかった。

前立腺がんが再発し、亡くなった同室の桜木さんの言葉。

「娘が大きくなるにつれ、だんだん会話が少なくなってきた」、「社会に出てからは年に1〜2回顔を合わすくらいだ」、「あの子とこんなに話をしてるのは初めてだ」、「考えようによっちゃーよ。病気も贈り物だよな」。

著者も過酷な闘病を妻と共に乗り越えていく。抗がん剤の副作用(末梢神経障害)のために長時間、筆を握ることができない後遺症が残ってしまったが、絵柄を変えて、再びマンガの世界に戻ってきた。それは、この夫婦にとって、過去の健康だった時代に戻るプロセスではなく、新しい人生のスタートだった。

「命の代わりに失くしたものは、たいして重要なものじゃない」、「僕は生きてる。何度でも、どこからでも、やり直せる」。

本書は、万年アシスタントだった著者のマンガ家としてのデビュー作。がんを通じて、自ら発見、開拓した新しい境地である。

厚生労働省(課長級)JOJO