今週はこれを読め! SF編

 第1回ハヤカワSFコンテスト最終候補作。『ファースト・サークル』という題名が示すように、これは円環の物語である。



 いや、じつを言うと本当に円環なのかは判然としない。ただ、ぐるぐる回っている感覚はある。円環ではなく螺旋かもしれないし転がり落ちているのかもしれない。回転を外から眺めればそのかたちがわかるが、自分がその軌道のさなかにいれば、なにかが反復しているようだとか以前に似た地点を通った覚えがあるとかそういう判断しかできない。この作品を読んでいると、そんな不安めいた、あるいは魅入られているような気持ちになっていく。



 物語の冒頭、語り手の私はテレビに映しだされた奇妙な一群を目にする。無秩序に集まっていた人びとが円環を形成し、みるみる輪を大きくしていく。そして前触れもなく手拍子を打ちはじめる。複雑でランダムに思えるリズムだが、聞いているうちにそれは8分の11拍子の変拍子の繰り返しだと気づく。そう気づくともう頭から離れない。そう、これも円環だ。



 その変拍子に重なって唱えられる言葉。「ふぁーすとさーくるはみなさんのちからになります。みなさんふぁーすとさーくるにまいりましょう。ふぁーすとさーくるふぁーすとさーくるふぁーすとさーくる」。そして、私の頭はファースト・サークルの向こう側に移動した。



 置いていかれた首から下にも独立した意識があり、以降、この物語で"私"を称するのは(ほぼ)この胴体部分である。私はテレビに映っていた場所をめざし、そこで巨大な円球状物体を見つける。まるでルネ・マグリットの絵のような景観。こうした現実離れした要素が、なんの辻褄もなくひょこりとあらわれるのがこの作品の特徴だ。しかし、それは鬼面人を驚かす演出や効果というよりも、この世界(ファースト・サークルのこちら側? 私の主観現実?)そのものの空間性といったふうだ。通常の遠近法が当てはまらない。



 そもそも私の視点・言葉も、やや離人症気味なのだ。自分の行動や感情を語っても、どこか他人ごとのようである。ただし、それはあまり際立ったものではなく、うっすらと物語の基質をなしていく。現実離れしていてもまだ日常の引力が働いている圏内というか、だからこそかえって読者の気持ちを波立てるというか。不思議な読み味がある。



 さて、私の物語と並行して、この作品ではもうひとつの物語が進んでいく。こちらは三人称で綴られ、主人公は精神科医の佐々木満ちる。彼女は総合病院に勤務しており、内科病棟に入院している小川少年のメンタルケアを命じられる。小川少年の掌には穴が空いていて(その穴は入院している病因とは無関係だ)、それを通して別な場所の景色が見えたりする。これもまたマグリット的な構図だ。



 病院にはもうひとり不思議な人物、小川少年の主治医である松下がいる。彼の言動はおかしく、紙にびっしりとこんな落書きをしている。「ふぁーすとさーくるふぁーすとさーくるふぁーすとさーくるふぁーすとさーくる」。



 私の物語と満ちるの物語。このふたつの流れがどうつながっているのか、それがこの小説を駆動させる興味であり、そのカギがファースト・サークルにあるのは間違いないが、核心はなかなか明かされない。もしかするとミステリの「謎」や「トリック」(つまり最後まで取っておくお楽しみ)とは異なり、ファースト・サークルそのものには特別な意味などなく、たんに円環の中心というだけかもしれない。このへんをあまり詳しく言うとこれから読むひとの興を削いでしまうのでひかえるが、ふたつの物語は合流する。行方不明だった頭の所在も明らかになる。



 ただし、物語の合流も頭の再登場もちょっと意表を突くかたちだ。どこまでも定型的な小説の枠に収まらないのだが、読んでいるとそういう世界なんだとつい納得してしまう。



 赤眼鏡と黒眼鏡の警官風得体の知れない二人組、ひとの言葉を話す黒猫と一緒に、胴体だけの私(トルソーと呼ばれるようになる)が、無機質の白い部屋が変形した球場で野球をするという、醒めきらない夢のようなエピソードもある。この風変わりなユーモア、そして日常性の皮膜がめくれて内宇宙があらわになる感じは、日本におけるニューウェイヴの旗頭だった山野浩一の作品を髣髴とさせる。



(牧眞司)




『ファースト・サークル (ハヤカワ文庫JA)』
 著者:坂本 壱平
 出版社:早川書房
 >>元の記事を見る



■ 関連記事
壊滅な大異変の到来を前に、人類集団の多様と不安定を描ききる
鮮烈なイメージ──漆黒の女性型生体兵器が、211隻の戦闘飛行艦を撃つ
ハードSFの真骨頂。異世界内の視点・言葉だけですべての物理を究明する


■配信元
WEB本の雑誌