震災を乗り越え…バンドを“育てる”ライブハウス「仙台MACANA」代表インタビュー

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90年代後半にオープンし、仙台の音楽シーンを支え続けてきたライブハウス、MACANA [ http://www.macana.net ]。

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現代表をつとめる佐藤洋一さんに、オープン当初や縁のあるバンドとのエピソード、そして11年の震災の時のことなどを伺ってきました。

――佐藤さんが仙台MACANAで働き始めたのは何年前くらいですか?

佐藤:96年にオープンした時から働いています。その前は仙台BIRDLANDというライブハウスで働いていました。BIRDLANDができるまでは、仙台って貸しホールはあったけど、ライブハウスは出来ては潰れ…って感じで、根付かなかったんですよね。

だからインディーズのバンドさんのツアーだと東京から仙台は飛ばして北海道に行っちゃう、みたいな。よく飛ばされる地域だったんですよ。

――へー、今は「全国ツアー」といえば東名阪仙台…みたいなバンドは多いですよね。

佐藤:今でこそたくさんライブハウスがありますけど、当時はよく「仙台はロック不毛の地」みたいなことを言われたりしてましたね。

それで、MACANAはどちらかというとヴィジュアル系を含めたオールジャンル的、BIRDLANDはパンクとハードコアに特化したようなハコになってうまくジャンルを住み分けてやっていくような流れになって。

そこからいろんなバンドさんもツアーで来てくれるようになり、そしてちょうど「BREAK OUT(テレビ朝日)」というテレビ番組が出てきた時期と重なって。

――今も同名の番組は放送されていますけど、90年代にやっていた「BREAK OUT」は全国のヴィジュアル系バンドをランキング形式で紹介するという番組で、ご当地バンドが盛り上がっていましたよね。

佐藤:そう、それでヴィジュアル系バンドが急激に増えてきた、そんな時代だったんです。その中にうちで抱えてていたSTAYってバンドもランキングの上の方に行ったりして。

――なつかしいですね。

佐藤:メジャーデビューまでは行けなかったんですけど、直前くらいまではなんとか頑張ってて。ナイトメアはこのバンドの後輩にあたるバンドなんですよね。彼らもMACANAですごく頑張っていて。それから東京に出始めて、彼らに関しては東京や大阪での方が人気が出るのが早くて、後から地元でも人気が出てきたパターンのバンドだったんです。

ちなみに彼らの当時のCDジャケットやフライヤーは僕がデザインをやってたんですよ。メンバーからよく「こういうの作って欲しいんですよ」と頼まれて(笑)。

――そういうお話を伺ってると、MACANAは昔ながらのバンドを育てるライブハウスという印象を受けます。

佐藤:やっぱり自分が「ライブハウス」というものに憧れてこの仕事を始めたっていうのもありますし。人のバンドにくっついてツアー出たりして色んなライブハウスを見てきて、特に昔の東京のライブハウスなんて、バンドに対してすごく厳しかったんですよ。仙台にもそういう人がいなければバンドは育たないじゃないですか、ただ演って「お疲れ様でしたー」「楽しかったねー」で終わるんじゃなくて、「こういう風にしたらもっと良くなるよ」みたいなそういうのを言える場所がライブハウスだと思うので。

――そんな風に、ナイトメアが出てきて仙台バンド、仙台シーンも盛り上がって…みたいな感じだったのでしょうか。

佐藤:いいえ、彼らは本当に別格だったんで。それの後に続けーみたいな感じでいっぱい出てきてたら良かったんですけど、仙台シーンが盛り上がったわけではないんです。もちろん後輩たちもいたんですけど、そこに食いつくまではちょっといけなくて。ちょっと一回シーンが停滞しちゃうような時期があったんです。

ただ外目からは今言われたような感じで「仙台ってナイトメアも出たし、すげぇ盛り上がってアツいよねー」みたいなことをよく言われたんですけど、でもどんどんバンドは解散していくしそれに続けって行くようなバンドがいなくなっちゃったりとかしてて。それなりに苦労した時代があったんですよね。もちろん頑張ってるバンドもいましたけど…。

逆に今は外目から見てバンドの数が多いわけじゃないんですけど、「外に出ていこう」ってバンドが最近ちょっと増えてきてるかなーとは思いますね。

――MoNoLithやJin-Machineも知名度は全国区ですよね。それにHERe:NE(ヘレーネ)とかも。


佐藤:HERe:NEも知ってます? 実はHERe:NEの面倒見てるのが、さっき言ったSTAYのドラムで。彼自身は今は現役バンドマンではないんですけど、後輩を育てようと色んなバンドに色々アドバイスしてあげたりとかイベントを組んだりとかして裏方としてすごい頑張ってます。

――そういう風にインディーズシーンを支えながらも…そこから2011年に震災にみまわれて…。

佐藤:そうですね、地震自体ですごい怪我人が出たわけではなかったんですけど、建物の方がダメージがちょっと大きかったみたいで…赤紙って言うんですか? ビルに色んな色の紙が貼られていくんですよ。建物のダメージによって、要するに赤紙っていうのが一番悪いやつで「危ないよ」みたいな。

で、まぁぶっちゃけそれが貼られたからといって、今すぐ崩れるとか倒れるわけではないらしいんですけど。ただ「同じような地震がもし起きたら次は崩れるよ」っていうようなものらしくて、取り壊すのも義務的なものではなくて大家さんの判断でやるものらしいんですよ。

で、当時のうちの大家さんはすごい真面目な方で「人命に関わることなのでこれを取り壊してもう一回建て直したい、だから退去してください」と。それでうちらも「どうしよう」ってなっちゃって。

それに実は僕地震の3ヶ月くらい前にMACANAの代表になったばっかりだったんですよ。まだ右も左もわからないような状態で地震にやられちゃって。

――それは…。

佐藤:大変でした(笑)。あのまま辞めちゃえばもう借金しか残らないっていう状態だったんですけど。でもうちのスタッフも続けたいっていう強い気持ちがあったし「なんとかしよう」っていうことで、みんなであちこち不動産屋さんや物件を回ったりとかして。本当に震災の後だったんで不動産屋も満足にやってるのかわからない状態でしたね。

それで探しまわってようやく今の場所を見つけました。うちが入る前は元々居酒屋さんだったんですが、遡ればここはもともと映画館だったんですよ。

――「名画座」という映画館だったと伺っています。

佐藤:名画座だった頃はまだ子供だったので、行ったことがあるかは覚えてないんですが、ただその後に居酒屋さんになってた頃に何回か来たことがあって、すごい天井が高くて広くて「ここをライブハウスにしたらすごいカッコイイな」っていうことを思わせるような物件だったんですよ。

で、不動産屋さんに「何か動きがあったら教えてね」みたいなのは実は言ってたんです、たまたま。

で、地震のちょっと前…1月か2月位に「ここ空くんですよ」っていう話をちょっと聞いたんです。ただ「次の人がもう決まっちゃってるんですよー」と。その時はもちろん移転も何も考えてないので「あーそうですかー」くらいの気持ちだったんですけど、実際地震のあとに色々探していた時に「そういえばあそこってどうなったんだろう」と思って調べたら、ちょうど次に入ることが決まっていたところが地震が原因で契約が解除になっちゃったらしくて、この物件が空いちゃってたんですよ。それで「ここでやらせてください」飛びついて。

幸いにもここの大家さんも、エンターテイメントにすごく理解があって…、今は東京でアニメの脚本を書いてる大河内一楼さんという方なんですけど。

――えっ! 『∀ガンダム』や『コードギアス』の脚本家ですよね?

佐藤:そうです。お会いして色々お話してて、ここの元々の持ち主は彼のお父さんで、楽器屋さんをやっていらしたらしくて、お父さんもエンターテインメント全般がすごくお好きで、ビルを作った時に映画館をっていうことでここができたそうなんです。

彼自身ももちろん声優さんのライブとかでライブハウスには行ったことあるから、どういうものかは何となくわかってたみたいで、「是非やりましょう」となって。すごいいい条件で入れてもらえたんですよ。そういう縁もあって、ここにライブハウスを作るということが決まると、次は内装の工事をしなくちゃいけないじゃないですか? そこでもひとつ問題がでてきて。

――その時期はおそらく仙台市内の建築業者は復興支援で出払ってますよね。

佐藤:そうなんです、それでどこの業者に頼んでいいかも全然わからなくて。どうしようかなと思ってる時に、たまたまうちに出入りしてる東京のバンドさんで、建築士の免許を持ってる人がいたのを思い出して、ちょっと電話してみたんですよ。そしたら実はその方がライブハウスや音楽スタジオを専門に作っている建築業者の社長さんだったんですよ。

――おー!

佐藤:ホントに偶然だったんですけど、事情を説明して「実はMACANAが震災でダメになっちゃって、場所は見つかったんだけど、どう工事していけばいいかわからないんで協力してもらえないか」と言ったら、快く引き受けてもらって、設計から全部やってもらって。

その他にも解体工事も工務店も全部バンド仲間が入ってくれて、実際にここの壁のクロス貼りとかあるじゃないですか? これとかもバンドマンの手によるものなんですよ、バンドをやってたとか昔バンドやってて今そっちやってるとか…そういう音楽関係のみんなに助けてもらって、人の繋がりがあってできたのがこの場所だったんです。

――人が、音楽がつなぐ縁みたいな。

佐藤:そういうことですよね。

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