【スポーツ紛争地図 vol.5 part.2】

 JOC、体協(日本体育協会)など日本の主要スポーツ5団体が2013年4月25日に主催した「スポーツ界における暴力行為根絶宣言」のシンポジウムの中で、パネラーのヨーコ・ゼッターランドが語りながら、思わず涙を流すシーンがあった。

 中学時代、対戦した相手強豪校の監督がミスをした選手の髪を引っ張り、体育館の床に叩きつけて顔を踏みつけた場面に直面したことを回想したのである。

「なぜ、言葉でなく暴力でしか指導ができないのでしょうか」

 JOCがまとめたスポーツの現場におけるパワハラ・セクハラについての最終報告書を読むと、自分自身が中学時代に感じていたものとほぼ同様の文言が並んでいたという。時代は変わってもその実態に変化はないということだ。

 スポーツ界におけるハラスメントは直接的な暴力だけではない。

 ゼッターランド自身、高校卒業段階で、大学で学びながらバレーボールを続けたいという向学心から、実業団への進路を選ばずに(当時関東6部リーグの)早稲田大学に進学するのだが、そのことで大きなバッシングを受けた。

 当時の女子バレー界の敷く強化の「王道」(実業団から代表入り)を歩まなかったことで、協会で立場のある人間が「大学バレーで日本代表を目指すのはピアニストがバイオリンを弾くようなもの」などとメディアを通じて盛んに責めたてた。

 事実、1年生のときの世界ジュニア選手権を最後に、干されるような形で代表に招集されなくなってしまった。国家代表への道を閉ざされ、一時はバレーを辞める事も考えたが、五輪への夢をあきらめ難く、ゼッターランドの出生国である米国籍を選択し、米国のナショナルチームのトライアウトに挑戦。ここでの努力が実って、1992年バルセロナ五輪と1996年アトランタ五輪の2大会に出場する。彼女の場合は競技団体の固陋な考えによって終わらされていたかもしれない自らのキャリアの扉を実力でこじ開けたと言えるだろう。

 2013年から嘉悦大学女子バレーボール部の監督に就任したヨーコ・ゼッターランドは現在のスポーツ界が抱える問題をどう見ているのか。

―― 2012年12月23日、監督の暴力を苦にした桜宮高校のバスケットボール部員の自殺という痛ましい事件があり、続いて女子柔道のパワハラ問題が表面化しました。その後も体罰問題は一向に収まる様子がありません。

「なんでこんなふうになってしまったのか、本当にわからないですね。厳しさイコール暴力ということではないと思うんです。昔の厳しい指導者は、『練習は厳しかったけれど殴られたり、蹴られたりとかではなかった』とおっしゃっている先輩がたくさんおられます。強くなるためには練習をとことんやる。私はそれしかないと思うんです。

 根性がなかったらとてもじゃないですが、究極な状況を戦い抜くことなんてできないです。スポーツにおいて気力はすごく大事なことですから。しかし、人格を否定されるような暴言や殴られることに堪えるのが『根性』だというのは違うと思います。厳しい練習で鍛えられ、耐えられるようになるのが根性です」

―― 一方で暴力を否定することによって、根性とかメンタルの部分をついでに否定するのは良くないですね。

「そうですね。アメリカでは体罰に対する扱いが日本よりも厳しいですけども、精神論のことをまったく言わないかと言ったら、そんなことはないんです。けっこう精神論ですよ。

 チームの場合、個人の位置づけは私が所属していた当時のアメリカナショナルチームですと、『チームあっての自分』。自分勝手なプレーは許されず、結果オーライとは言えない。まずはチームの規律を守り、きちんと遂行できて、初めて自分のオリジナリティを主張できる。それで結果を出すということをしていかないと認めてもらえない。

 指導者が命令形で選手に何かを言うのは当然ですが、それは日本だけではありません。英語でも『Order』はありますから。監督は『I'm not asking you, it's an order』(お願いしているのではない。命令だ)と言います。選手には選択肢はありません。『命令だ』とはっきり言われます。それに従わなければチームを去れということです。そこはすごく厳しいですね。

 組織形態を調節、維持するためには、絶対に必要不可欠なことだと思います。その点は暴力や暴言と混同して欲しくないというのはあります」

――「規律」と「パワハラ」の仕分けをしないと反動が出る可能性がありますね。

「ちょっとしたところで妥協をすることによって、楽しみや良いプレーが生まれるのかと言うとそうではないと思います。妥協せずに苦しいことを乗り越えていくことで初めて良いものが生まれてくると思うんです。そこに厳しさがなくて、気持ちの切り替えとは別に『まあいいよ、次、何とかなる』と、ミスを容認するのはダメですね。

 甘くなると試合で本当に1点が欲しいという時に取れないんです。本当に良いものを作り出そう、勝とうと思ったら安易な妥協はせず、自分に対してもチームメイトに対しても厳しくしないといけない」

―― 厳しさの中にこそ達成感というのはありますね。

「本当にそうですね。厳しさの中でどうやって教えていくか。厳しさが自発的に出てくることが理想ですが、人は安易なほうに流れやすい傾向にありますよね。いきなり最初から厳しく指導するというわけにはいかないので、自発的な厳しさが出てくるまで待っているときには高い授業料を払うことになるときもあります。負ける悔しさも本人が実感してくれないと意味がないし、(試合に)使い続けるとなかなか勝てないというのもありますし、ちょっとした葛藤です、そこは」

―― スポーツ界に置ける暴力の定義で言うと、ヨーコさんの場合、実力で日本代表に入れた人が進学という自分の意志を貫いたという理由で外されたということも、暴力だと思います。

 しかし、ヨーコさん自身がパイオニアになったことで、今は実際、女子のバレーボール界は大学に行っても代表になることができる。あの決断は最初の風穴だったと思うんです。

「大学のバレーボール強豪校、例えば筑波大出身の先輩や、東北福祉大とか東海大出身、日体大出身の方で全日本に入られてオリンピック行かれた方やメダリストの方はこれまでもいらっしゃいました。

 私の場合は、入学当初のチームが弱かったことが『選手としての実力も低下するのではないか』と懸念されたことは確かにありました。しかし自分がどこの大学で勉強したいのかとか、どのチームでプレーしたいのかという選択権利は誰にでもあるはず。目標を変えなければそこを目指して環境を変えていくことができると思うんです。こういう風に言ってしまうと、『それって選手のわがままでしょ』と言われることもあるんですが......」

―― しかし、それは選手の人生なわけですからね。

「たとえば、どこに進学をしたとしても、就職したとしても、チームのレベルではなく個人をセレクトしていくという考え方が、もし私が現役のころにあったとしたら、また変わったかもしれないですね。現在、女子の選手が少しずつ大学に行くようになったのを見るとうれしいですね。高校生に関してもバレーボール強豪校ではない学校に進学しても代表候補にセレクトされ続ける形もできてきました。隔世の感がありますね。

 実力的に見ると大学1部リーグからになってしまうとは思うんですが、日本代表候補に現役の大学生が数名単位で選ばれるようになりました。今もVリーグで活躍する大学出身の選手が、ちょっとずつ注目してもらっているので、そういう傾向になってきたのはよかったかなと思います。だからこそ、私は現役大学生で全日本の主軸になるような選手を育てることを、ひとつの使命としていかないといけないと思っています」

―― パイオニアらしい考えですね。

「自分が大学に行きながら、現役でオリンピックに行きたいというのがすごくあったんです。その可能性があったとしたら、1988年のソウルオリンピックだったんですね。ただチーム(早稲田大)はまだまだ関東リーグの下の方でした。それまでの約2年間の経緯を言うと、大学に入って全日本ジュニアに選ばれて世界選手権があって、その後ユニバーシアードがあったんですが、強化指定選手という名前だけで、ユニバーシアード以外の強化合宿には呼んでもらえず、『結局こういう位置づけに置いておかれるんだ』と思いながらソウルオリンピックをテレビで見ていました。その時は自分が選んだ道だからしょうがないと思いつつも、ちょっと悔しかったですし、もっと(代表選出の)選択肢が増えないかなというのは思っていましたね」

―― 悲しいかな、代表へ入るのにアスリートの才能と努力以外に必要なものがありましたね。

「残念なことではありますが......。ただスポーツの世界以外でも同じようなことはいくらでもありますよね。この時に学んだことはどんなことにも影響されないぐらい突き抜けなければいけないんだな、ということでした。

 それと同時に思ったことは私個人の経緯とは別に、組織としてより良いものをつくるためには視野を広く持って、選手を幅広い中から選択していくことが大切だということです。」

―― 他国の代表セレクションやサッカーのケースを見ると選手を至るところに見に行っているんですね。トルコ代表は当然のようにドイツ在住のトルコ人まで見に行きますからね。

「世界的なことを考えれば、もっとグローバルに選手を見てもいいのかなと思います。話は変わりますが......。私は、今は何よりもハーフの選手が増えていることにビックリしているんです。自分が現役だった頃から25年くらい経っていますが、昔は生粋の日本人だけでやるんだという意見もありましたから。生粋の日本人っていったい何だと思ったこともありました。外国人であっても日本に帰化する人はどうなのとか。その考えはラグビーとかサッカーとか、競技によって随分違うんだなって思ったんです」

―― 今思うと、ヨーコさんが現役時代に経験したVリーグの『外国人選手の出場禁止措置』がありました(※これによって米国籍のヨーコ・ゼッターランドは在籍していたオレンジアタッカーズで出場権を失い、引退を余儀なくされた。引退して二年後にまた外国人枠は設けられた)。

 今、同じようなことを競技団体が行なったらレイシズムではないかと大騒ぎになっていると思います。当時のVリーグ機構は、外国人選手を入団させると日本人選手が育たないというのが、表向きの理由としましたが、プロ野球やJリーグを見ても自明のように、優秀な外国人選手と切磋琢磨することでレベルも上がるわけですから、詭弁ですね。実際、男子バレーは外国人枠をずっと保持していたわけですから、矛盾した説明でした。

「選手の需要と供給がお互い一致しているところで、よくわからない外国人枠の撤廃。それも男女平等でなく行なわれたことが残念でした。

 言葉の暴力やセクハラ、パワハラ、メンタルアビュース......。そういうものはなくなってほしいですね。でも表面的なものが消えていくと、陰湿に内にこもっていくということもまた事実だと思うんです。いじめもそうですけど、見方によって、本当の原因がなんだったのかということを解明しないといけないですね。もしかすると、暴力がなくなるということはないかもしれないですけど、なくなるように少しずつ近づけていくというのはとても大事なことですね」

■プロフィール

ヨーコ・ゼッターランド
Yoko Zetterlund

1969年3月24日アメリカ生まれ。
6歳から日本で育ち、中学、高校時代は女子バレーボールの全国大会や世界ジュニア選手権で活躍。1991年に渡米し、米ナショナルチームのトライアウトに合格。オリンピック代表に選出され、1992年バルセロナ五輪で銅メダルを獲得。1996年アトランタ五輪では7位入賞。現在はスポーツキャスターとして各種メディアに出演するほか、嘉悦大バレーボール部監督を務める。

木村元彦●取材・文 text by Kimura Yukihiko