今週はこれを読め! SF編

〈リ・クリテイシャス〉と呼ばれる海面上昇によって環境・社会・文化が一変してしまった25世紀の地球。ここにいっそう壊滅的な危機、地殻変動によるマグマ噴出がもたらす〈プルームの冬〉の到来が迫っていた。環境シミュレータの計算では、噴出が起こるのはおそらく数十年のうち。何も準備しなければ人類はまちがいなく絶滅する。

 これまでSFは、環境変化による人類の破滅を繰り返し、さまざまなシチュエーションで描いてきた。なすすべなく亡びてしまう結末もあれば、大掛かりな対策によって破局を回避する、あるいは犠牲を払いながらも全滅をまぬがれる物語もある。しかし、全滅にせよ生存にせよ、それに至る過程はほぼ一筋だった。それに対して、『深紅の碑文』は幾筋もの道のりがあって、それがもつれあいながら複雑でダイナミックな模様があらわれていく。

〈プルームの冬〉に対する危機管理を担うエリート〈救世の子〉を人為的な遺伝子選抜で作りだした多政府連合体NODE。厳格な教理ではなく懐の深さによって多くの信者を集め勢力を得ている〈調和の教団〉。人類の形質を外宇宙へ伝播させようと計画するDSRD(深宇宙研究開発協会)。〈冬〉に対する警戒よりも日々の暮らしと自分たちの習俗の維持に専念する海上民たち。海上民と陸上民との反目を和らげようと非営利活動をおこなう救済団体〈パンディオン〉。陸上民への反抗を先鋭化させた海賊団〈ラブカ〉。それぞれが別個の思想・利権・方法論において、自分たちの物語をつらぬこうとする。当然そのあいだには軋轢もあり、有限なリソースの奪いあいも生じる。

 人類の存続を第一に考えればそんなことをしている場合ではないのだが、もちろん誰もが納得できる最善手など存在しない。いまさら言うまでもなく、人類とはひとつの共同体ではなく、複数の共同体がモザイク状に入りくみ不安定なバランスで揺れている。上田早夕里はその実際を正面から見据えたばかりか、「不安定な揺れ」も含めてSFの設定に持ちこんだ。その点がまず優れている。

 当然、この小説には特権的なリーダーシップを発揮するようなヒーローはいない。大きな状況を複数視点によって描くうえで主役級の人物が何人も登場するが、そのいずれも所属する組織の規範や論理のなかで動いている。それは隷属ということではない。彼らが人類に貢献しうるとすれば、それは組織の機構を有効に使うしか手立てはないのだ。これは眉村卓が唱えた「インサイダー文学論」にも通じる感覚だ。もっとも眉村作品がひとつの組織のなかのひとりの個人を主人公としていたのに対し、『深紅の碑文』は前述したようにいくつもの組織があり、それぞれのインサイダーが活躍し、そのあいだでのやりとり(部分的協力や共感もあれば譲歩や取引もある)が生々しく描かれている。

 たとえば、DSRDは恒星間飛行などという途方もないこと(たとえ成功しても人類自体を別な天体へ移住させられる可能性はない)に血道をあげるなら、その資金や労力を別な人類救済策へ回すべきだとの批判にさらされている。しかし、彼らには自分たちがおこなってきた核融合の研究の成果を、地上の政府に渡してもいいと言う。〈リ・クリテイシャス〉以降、核エネルギーは世界的な禁忌だったため、各政府は自然エネルギー依存の政策を取っていた。しかし、〈プルームの冬〉を乗りきるうえで、太陽に依存しない核融合発電は大きな助けとなる。DSRDは各政府から協力が得られれば、宇宙空間で核融合の実験をおこない技術を成熟させられる。この技術転用の取り引きに付帯して、ロケット打ちあげのための地上の拠点も提供してほしい──というのが、彼らの主張だ。このプロジェクトの最初の足がかりとなる資金提供をDSRDは各方面に呼びかけ、〈パンディオン〉理事長である青澄誠司の元へも交渉にくる。青澄は興味を示しながらも〈パンディオン〉の今後の運営を見据え(人間相手の仕事なのでうまくいかないことも多い)、とても寄付する余裕はないと断る。こうした押し引きがさまざまな局面でおこなわれ、全篇を通じて実際的な関係の網目が張りめぐらされていく。

 もうひとつ見落とせないのは、それぞれの組織や共同体のディテールだ。海上民の死生観、〈救世の子〉を含む向学の志をもった学生たちが集う教育機関の雰囲気、〈ラブカ〉の日常感覚など、それぞれ独自の手ざわりの糸で織るように描きだしていく。

(牧眞司)

『深紅の碑文 (上) (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)』 著者:上田 早夕里 出版社:早川書房 >>元の記事を見る

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