謎解きも楽しい現代語訳版「かぐや姫」
『ひかりナビで読む竹取物語』大塚ひかり/文春文庫

写真拡大 (全2枚)

大塚 以前、『かぐや姫の物語』のミカド(御門)のアゴについて記事を書いてましたよね?
───読んでくださったんですか! ありがとうございます。
大塚 私、ちょっとあれに異論を唱えたいんですよー。
───(ゴクリ……)は、はい。
大塚 『かぐや姫の物語』は、『竹取物語』をかなり忠実に映像にした作品。でもそれだけじゃなくて、現代にも通じる「幸せとは何か?」というテーマをすごく追求してます。この「幸せ」というキーワードが、ミカドのアゴにもつながってる。私、ぜったいミカドはブータンのワンチュク国王がモデルだと思います。
───ワンチュク国王!?

12月に発売された『ひかりナビで読む竹取物語』の著者、大塚ひかりさんインタビュー。
前編ではスタジオジブリ最新作の『かぐや姫の物語』について、古典エッセイストの立場からいろいろとお聞きします。
「長いのでは?」と話題になったミカドのアゴ。『ジ・アート・オブ かぐや姫の物語』では、高畑監督が当初のキャラクターデザインを見て「美男だけど一ヶ所バランスを崩してみてはどうか。たとえばアゴとか」と言ったことが紹介されているなど、直々のこだわりによってアゴ長になったことがうかがえます。
でも、ワンチュク国王……確かに、顔も似ている感がありますが……。

大塚 ブータンは、「幸せの国」と言われてます。その国王とミカドを似せることで「幸せとは何か」を考える、一種の暗喩として出てるんだと思うんですよ。
───なるほど! 「幸せの国」のミカドだけど、かぐや姫を幸せにできない。
大塚 それどころか、ミカドに抱きすくめられて初めて「死にたい」「消えたい」と思う。月の記憶が蘇ってしまって、帰る引き金となっている。「幸せの国」が「幸せとは何か」を考える糸口になっていますよね。それから、「実際の人物にモデルがいる」っていうのは、「モデル小説」としても有名な竹取物語らしい。
───『かぐや姫の物語』のキャラクターたちは、声優にせよ、ワンチュク国王にせよ、誰かしらモデルがいる。
大塚 そういう意味でとても忠実ですよね。ちなみに、『竹取物語』の五人の貴公子たちは、みんな当時の権力者をモデルにしています。
───権力者をあんなふうに描いて大丈夫だったんでしょうか……。ミカドのことも振ってしまうし。
大塚 天皇制の時代に「ミカドのお召しも恐れ多いとは思わない」なんて言い放ってる文学なんてこれだけ。「当時の政治批判・権力批判の物語」と評されることも多いです。

■『竹取物語』と『かぐや姫の物語』の違いで見えるもの

大塚 かぐや姫って、現代女性そのものだって言えますよね。「結婚しろ」って言われて「なんで結婚しなきゃいけないの?」ってところから出発してる。『かぐや姫の物語』を見て「かぐや姫が現代的でびっくりした」と言ってる人がいましたけど、原作からしてそう。
───忠実なところが多い分、違っている部分が気になります。大塚さんは以前のエキレビの記事で「(違う部分によって)『竹取物語』の世界がより鮮明になった」とおっしゃってますが、具体的にはどういうところでしょうか。
大塚 たとえば、捨丸の存在は大きい。『竹取物語』のかぐや姫は誰とも結婚したくなくて、誰も好きになっていません。それなのに「月に帰るのはイヤだ」って言ってるのがちょっと疑問で。『竹取物語』の源流らしき羽衣伝説を探っていくと、「天女と恋に落ちた男」が出てきますが、それが捨丸だったのかもしれない。
───捨丸がいないと、ただつらいだけの話になってしまいますよね。
大塚 そうですね。最後月の迎えが来ますけど、あれほとんどお葬式っていうか、あの世っぽいですよね。その対義としての「生の喜び」を際立たせるには捨丸がいないと。『竹取物語』も、最後の昇天は「かぐや姫の死を表している」説があります。高畑監督ってありとあらゆるものをすごく勉強する方だと思うから、いろんな要素が入ってるんでしょうね。
───さまざまな学説を取り入れて、いろいろな要素が入っている。
大塚 必ずしも日本の物語だけじゃない。海外も入ってるかもしれない。竹取物語自体わりとグローバルで、インドとか中国の要素も強い。よく分からないけれど、高畑監督だったらフランス文学辺りも入れてるかもしれません。

■かぐや姫のモデルは○○○!?

───『かぐや姫』を見ていて、『虫愛づる姫君』を感じました。
大塚 『虫愛づる姫君』は、完璧にキャラクターとしてありますよね。理詰めで考えていく理系的な女性っていう部分は、竹取物語的でもありますけど。
───虫を怖がらずにいじってたりとか、お歯黒や眉を抜くのを嫌がっていたりとか、髪をかき上げたりとか。
大塚 髪を耳にかける仕草って古典によく出てきますが、あれは賤しい仕草なんです。「耳挟み」っていって、それをするのは下々の女性のしるし。本当にはしたないことで、高貴な貴婦人がやっちゃいけない。それを見て幻滅したって話もあるくらいで。
───『かぐや姫の物語』では、耳挟みするかぐや姫に、垣間見していたミカドが襲いかかります。
大塚 『かぐや姫の物語』で相模がかぐや姫をいろいろ教育する場面も、光源氏が紫の上を10歳で引き取って徹底的に教育していくところとも似てますよね。紫の上はさいしょ眉もボーボーだったんですよ。それが、眉を整えさせられ、手習いを習い、「貴族の娘」にさせられる。
───わー、似てますね!
大塚 紫の上って、光源氏と出会った時に、「雀の子を犬君が逃がしつる」と言って、大泣きしてばたばた走ってくる。立って走るっていうのは高貴な女にあるまじきこと。古典多しといえども、高貴な女が走ってるっていうのはそれくらいじゃないかなあ。源氏に変えられる前の紫の上っていきいきしてるんですよね。走ったり、眉もぼーぼーで、髪も「くしけずるのをいやがる」って書かれてて、整えたがらない。顔を真っ赤に泣きはらしてワーワーワーワー泣いてる。そういう風に喜怒哀楽を激しく表すのは、当時の貴族社会で卑しいこと。全てのいやしいことを紫の上はやっている。
───それに光源氏は惹かれる。
大塚 自分の手でどんどん都風に仕立てあげて、14歳で犯したあげくに、紫の上が32歳になったらもっと若い高貴な女を迎えて裏切っちゃうわけですけど。
───かぐや姫のモデル、紫の上に思えてきました。
大塚 あまり考えてみなかったけど、言われてみればそうですよね。いろいろミックスされてるんでしょう。紫の上も……それから、『ユリイカ』12月号(かぐや姫の物語特集)に載っている小谷野敦さんの説だと、かぐや姫のモデルは雅子妃だって。ちょっと説得力を感じてしまった。
───雅子妃!?
大塚 これは小谷野さんに教えてもらったんですが、高畑監督は西村(義明)プロデューサーに、この映画を見れば、「ある一人の女性の姿が浮かび上がるはずだ」って言っている(動画参照)。小谷野さんは「一人の女性」を具体的な人物、雅子さんだと解釈しています。私はかならずしもそうじゃなく、実態をもった一人の女性像が、見る側の前に像を結んで迫ってくるという意味にも取れるように感じましたが、小谷野さんの説はとても刺激的だと思いました。そもそも『竹取物語』は諷刺の強い物語ですし……。「どうとでもとれる」「いろんな解釈ができる」点でも、あの映画は「古典的」と言えるかもしれません。古典はいろんな解釈ができるのが特徴ですから。
(青柳美帆子)

後編に続く