折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi

 ライバルの駒澤大学を59秒抑えて往路優勝を果たした東洋大学は、復路でも各選手が攻めの走りを見せて、5時間25分38秒の復路新記録を叩き出した。総合では柏原竜二を擁して優勝した2012年の記録には1分15秒及ばないものの、10時間52分51秒という歴代2位の好記録で完全優勝を成し遂げた。

 勝因のひとつは、10月の出雲駅伝では1区で区間6位、11月の全日本大学駅伝では4区で区間4位と、ピリッとした状態になっていなかった田口雅也(3年)の調子が上がり、1区に使えたことだった。

「出雲、全日本と不甲斐ない走りをしたので、自分でもどうしたらいいのかわからなくなっていました。でも12月に、大学へ来てくれた柏原(竜二)さんとも話をして、箱根だけは何とかしなければいけないという気持ちになった。それが調子を上げられた要因だと思います」

 こう語る田口は、大会の1週間ほど前になって酒井俊幸監督から1区に起用されることを告げられたという。

「田口が上がってきたのは大きかったですね。(出雲駅伝、全日本大学駅伝で1区を独走、優勝の立役者となった)駒大の中村(匠吾・3年)くんといえども、3回続けてうまくいく可能性は低いだろうし、それに彼は最初から引っ張るタイプではないというのもあった。田口の仕上がりが良くなってきたから、これなら十分対等に走れるし、たとえ競り負けても30秒以内では来てくれるだろうと思ったんです」(酒井監督)

 また酒井監督は、来年以降のことも考え、2区に2年生の服部勇馬を起用することを早くから決めていたという。そう考えた裏には、エースである設楽啓太(4年)の5区起用という構想があったからだ。彼なら1時間18分台で上れる。もし2区までで駒大にリードされても、5区の啓太でトントン以上に戻せ、復路で勝負できると考えた。それを田口の復調で実行に移せたというわけだ。

 酒井監督は12月29日の区間エントリーを見て、その構想は当たったと考えた。駒大は予想通り、1区に中村匠吾(3年)を使っただけではなく、2区に村山謙太(3年)、3区に油布郁人(4年)と主力を置き、4区にも全日本5区区間1位と勢いのある中谷圭佑(1年)を並べてきた。復路重視というこれまでのスタイルを変え、往路優勝で勢いを付けようとする戦略できた。

 それに対して、酒井監督が弟の悠太とともに啓太を当日変更可能の補欠にしたのは、もし当日の天候が前回大会のような向かい風になったら、体重が軽い啓太には不利になるため起用を控える余地を残そうという思惑があったからだ。5区にエントリーした成瀬雅俊(1年)でも1時間20〜21分では上れる。その場合は啓太を3区に入れる案のほか、復路の7区で使ったり、9区に持ってきて駒大のエース窪田忍(4年)にぶつけるなど、復路重視への戦略変更も視野に入れていた。

「田口だけでなく、全日本まで使えていなかった上村和生(2年)や高久龍(3年)、それに大津顕杜(4年)などの調子が非常に上がってきたことが大きかったですね。今回外した延藤潤(4年)や淀川弦太(3年)、寺内将人(2年)、それに下り要員だった佐久間建(4年)も順調でいい仕上がりをしていたから、最後の最後まで誰を使おうか迷っていたくらいです」(酒井監督)

 結局、当日は心配した風もなく、啓太の5区起用が決まった往路。1区は早稲田大学がエース大迫傑(4年)を起用したため、スタートからハイペースの展開になった。その中で田口は余裕を持って走り、後半の日本体育大学の山中秀仁(2年)の仕掛けにも余裕を持って対応していた。

 一方で区間賞本命の駒大・中村は表情を歪めるシーンを見せた。「中村は1週間くらい前にケガをしていたから自重していたんです。あそこまでいったらやるしかなかったけど、ちょっと余裕はなかったですね」と駒大の大八木弘明監督は明かす。

 それでも中村は意地を見せた。19.7kmでスパートした後、食らい付いてきた山中の仕掛けには追いつけずに9秒遅れたが、東洋大の田口には10秒差を付けて2区の村山につないだ。

 東洋大の2区服部勇馬(2年)は、「唯一調子が上がりきっていなかった」(酒井監督)という状態だった。少し抑え目に入った服部に対して、駒大の村山は5kmを14分02秒で通過するハイペースで入った。4.2kmで日体大の本田匠(4年)をとらえ、10?では東洋大との差を1分ほどに広げ、独走態勢を作り出した。

 ところが「抑えろ、抑えろと指示したけど、突っ走ってしまって......」と大八木監督が苦笑するように、後半になると脚がつって失速。服部の追い上げを許して16秒差まで詰められた。大八木監督は「村山が指示通りに最初の5?を14分20秒くらいで入っていれば、1分半は開けられたはず。そうすれば3区の油布ももっと余裕を持って走れただろうし、4区が良かったから往路優勝できた。復路の流れも変わったかもしれない」と悔しがる。

 想定では2区で1分リードし、3区の油布が設楽悠太(東洋大・4年)に追いつかれても、4区の中谷で勝負して5区の馬場翔大(2年)につなげば、悪くてもほぼ同タイムで往路を終われると考えていたのだ。

 だが駒大の目論見は東洋大にひっくり返された。3区で東洋大の設楽悠太は駒大の油布を逆転、1分21秒差をつけた。4区で21秒差まで盛り返されたが、5区では設楽啓太が1時間19分16秒でキッチリ走った。酒井監督は「(5区で)駒大の馬場があそこまで走るとは思わなかった。最後の下りでは抜かれるんじゃないかとヒヤヒヤした」と笑うが、51秒差の往路優勝となったのだ。

 往路で遅れをとった駒大・大八木監督の逆転への布石は、6区で差を詰めて東洋大をターゲットに入れられる位置まで迫ることだった。

 そんな期待を受けた西沢佳祥(3年)は合格点の59分22秒で走ったが、東洋大の日下佳祐(4年)にはその上を行く59分4秒で走られた。大八木監督は「あそこで30秒差くらいにまでできたらその後の展開も変わっただろうけど、東洋大は予想以上に速かった。そこまで詰めるとなれば58分台が必要。それは無理でした」と脱帽した。

 この時点で、東洋大優勝の確率は跳ね上がった。酒井監督はこう語る。

「うちが11年に早稲田に負けた時は、6区で逆転されて7区でとどめを刺されたんです。今回はその経験が大きかったですね。6区で1秒でも差を広げて渡すと、7区の走りも違ってくる。駒大は出雲と全日本では先手を取って成功していたので、今年は追うレースをしていなかった。それもあって7区と8区で連続区間賞を取れたのも今回の勝因のひとつです」

 復路で酒井監督は、各区間とも前半は「抑えていけ」と指示をしたという。だが選手たちは往路の走りで気合が入っており、どんどん突っ込んで攻めのレースをした。そのことが、駒大9区の窪田にタスキが渡った時点で、逆転不可能な3分40秒差に広がる要因になったのだ。

 そんな復路の東洋大に対し、駒大の大八木監督は「往路は2区のミスで負けたけど、復路は完敗ですね」と振り返った。

「7区と8区に1年生を使ったのは、育成を意識していたこともありますが、去年走っていた郡司貴大や湯地俊輔などの4年生の調子が上がってこなかったのが痛かったですね。同じ練習をしていれば、3年間多くやっている4年生の方が1年生より強いのが当たり前。東洋大は4年生たちがちゃんと出ており、今回の敗因はその差ですね。結局は向こうの層の厚さにやられました。やっぱり3冠というのは難しいですね」(大八木監督)

 一昨年の出雲駅伝以来、三大駅伝で5大会連続2位という悔しさをバネに、東洋大は2年ぶりの完全優勝を勝ち取った。

 前回優勝の日体大は、2区本田と3区勝亦祐太(2年)の失速で完全に遅れをとった。5区のエース服部翔大(4年)も足を痛めており、万全ではなかった。だが、復路では9区と10区で3位に食い込んで底力を見せ、3強の一角であることを証明した。
 
 また、武器である5区の山本修平(3年)を欠き、エースの大迫も完調でなかった早大も、2区・高田康暉(2年)が区間賞を獲得し、1年生の3区・武田凜太郎や4区・平和真の快走で流れに乗り、最後まで3位を争う健闘を見せた。1年生、2年生の活躍は、次回への期待をつなぐ走りだったといえる。

 この2校を含めて、次回の箱根駅伝ではまた新たな勢力図が形成されていることだろう。