元K−1王者が「デビュー」から「12・21 GLORY引退試合」までを語る!

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「立ち技最強」を決めるK−1の歴史において、その“象徴”として激闘を続けてきたピーター・アーツが、今月21日の『GLORY13TOKYO』をもってついに引退する。引退試合を前に、激しすぎた20年間を、アーツ自身に振り返ってもらった。

さらに、その間、最もアーツを間近で見てきた男―K−1立ち上げから崩壊まで常に渦中にあったプロデューサー・谷川貞治氏に、時代ごとのアーツの思い出とK−1の裏舞台を語ってもらった。

【1】来日。そして連覇(93〜95年)

1992年。当時のキックボクシング界は、“8年間無敗”モーリス・スミスがトップを走り続けていた。しかし、そんな“レジェンド”をひとりの若者が倒した。21歳のピーター・アーツだった。

翌93年、アーツは大きな注目を浴びながら第1回K−1グランプリに出場する。

―アーツ選手は最初から優勝候補といわれていました。

アーツ うん。でも結果は失敗だった。当時の俺は5ラウンド制に慣れていて、でもK−1は3ラウンドだったから、スタートをかけるタイミングが遅かったんだ。

―しかし翌94年と95年は圧倒的な強さを見せて優勝。みんな「アーツってスゲーなあ!」と大騒ぎしていました。

アーツ ふふふ(笑)。でも特別なことではなかった。「試合をして、勝つ」という、とても普通の、単純なことです。

―まだ20歳ちょっとで優勝候補といわれ、プレッシャーは?

アーツ 今までプレッシャーを感じたことはないね。ほかの選手は緊張して眠れないこともあるらしいけど俺はそういう経験は一度もない。「1時間後に試合してくれ」と言われたら、すぐに平常心でグローブをつけられるよ。

―どこかで聞いた話だなあ。(2006年、K−1アムステルダム大会のアーネスト・ホーストvsボブ・サップ戦で、当時、K−1との契約がこじれていたサップが直前で試合をボイコット。会場で解説席にいたアーツが急遽、代役でホーストと戦った)

アーツ あのときは、今日は試合がないんだなあと放送席でビールを飲んでリラックスしてたんだ。まあ、酔っていて思わずOKしちゃったんだけどね(笑)。

【谷川氏のコメント】

アーツはモーリス・スミスを破って一躍注目されたんですが、当時、格闘技雑誌の編集長だった僕も彼の試合を見て、これは強いと。当時、K−1を立ち上げようとしていた石井館長に「ピーターいいですよ。しかもまだ21歳。10年いけます!」と言いました。でも20年間もトップで活躍してくれるとは思ってもいなかったです。

ヨーロッパのヤンチャ者のアーツと、礼儀正しいアンディ(・フグ)というふたりのスターを見つけて、「K−1はイケる!」と確信しました。でも第1回大会で、アーツはまだ無名だったホーストに負けちゃうんですよ。優勝はこれまた当時は無名だったブランコ・シカティック。

当初の思惑ははずれたけど、「世界は広い! すごいヤツがいっぱいいる」という幻想を世間にアピールできた。これはその後のK−1にとってすごくよかったんです。だから逆に、アーツが94年、95年と連覇したときは、「このままアーツがずっと優勝し続けるんじゃないか?」「アーツに勝てる選手を探さなきゃ」と思いました。

【2】スランプ。そして復活(96〜98年)

K−1グランプリ連覇により「最強」の称号を得たアーツ。しかし96年から大きなスランプに陥る。ライバルであるマイク・ベルナルドにも3連敗してしまった。

アーツ トレーニングはしていたんだけど、毎日のように朝まで飲み歩いてたんだよね。ウオツカ1本、平気で飲んでたから。で、胃腸を完全に壊した。マイク・ベルナルドに3連敗したときも体調を壊していて、彼との試合でパンチをしたら、ブッとオナラが出て、同時に“実”のほうもちょっと出たりしたっけな(笑)。もう、力なんて出なかったよ。

―うわ!! それはK−1王者になって調子にのっていたから?

アーツ いや、俺はそのずっと前から毎日飲み続けていた(笑)。それで内臓がついに壊れたんだね。そんな生活だったけど、97年に今の奥さんと出会って変わった。

―やっぱり男は、女性で変わるんですね。ちなみに、週プレ読者は独身男性も多いんですが。

アーツ 10代、20代は人生を楽しむべきだと思うよ。パーティに行って女のコと遊びまくるのもいいことだ。それで30歳を過ぎたらマジメなお付き合いをすればいいよ。極端に言えば、20、30人くらいの女のコたちと付き合ったほうがいいと思う。……この雑誌、うちの奥さん読まないよね?

―読まないと思います! でも、その30人のガールフレンドと奥さんは何が違ったんですか?

アーツ 彼女は料理も上手だし、男性をケアすることに長けていた。俺をずっとサポートしてくれている。パーティガールは遊ぶには楽しいけど、一緒に生活するのはちょっと違うよね。

―説得力あるなあ。奥さんと出会って、翌年の98年、再びK−1王者に返り咲きました。しかも、1回戦の佐竹雅昭選手、2回戦のマイク・ベルナルド、3回戦のアンディ・フグの3人とも、1RでKOという完全勝利でした。

アーツ 98年はモチベーションも上がっていて、ちょっとやりすぎなくらいトレーニングをしたからね。あの優勝は、本当にうれしかったよ。

【谷川氏のコメント】

「アーツに勝てる選手を探さなきゃ」と思っていたら、彼が自爆してしまった感じでしたね。当時の彼は、飲むと意識がなくなるまで飲むタイプで、それを毎日やっていた。そりゃあ体も壊します。アーツにとっては最悪な状況でしたが、興行的には面白い展開になった。

アンディが初優勝できたし、ベルナルドやジェロム・レ・バンナといったスター選手も出てきた。ホーストの体重も上がってヘビー級っぽくなってきました。

結果的に、第1回グランプリの「世界は広い」というテーマが復活した感じで。あと、アーツの奥さんは、姉さん女房でホントいい人なんです。K−1の外国人選手って派手な女性と結婚して失敗するケースもけっこう多いのですが、アーツは本当にいい人にたどり着いたなと。

【3】K−1のモンスター路線(2000〜10年)

復活を遂げたアーツは、ケガにも苦労し優勝から遠ざかるが、それでもベスト8に残り続けるポテンシャルをキープ。しかしK−1運営会社では石井館長の脱税問題による逮捕という大激震が発生。また、PRIDEなどの総合格闘技の台頭や「ボブ・サップvs曙」のようなテレビ映えするエンタメ色の強いカードが主流に。いわゆる「モンスター路線」である。

―モンスター路線についてはどういう思いでした?

アーツ 正直、俺は昔のK−1の選手が好きだ。だからボブ・サップやチェ・ホンマンはやっぱり少し違うよね。体の大きい選手がダメだと言っているんじゃない。技術が未熟な選手がリングに上がるのに違和感があったんだ。それでもサップは、ホーストやミノタウロ(アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ)とやった最初の3試合はすごくよかったよね。男らしく勝負していたし、好きな試合だ。でも、それ以降はねえ(笑)。

ただ、モンスター路線以上に、あの時代のK−1で一番よくなかったことは、セミー(・シュルト。05年、06年、07年、09年のK−1王者)が王者だったことだよ。彼はいいヤツだが話がヘタクソで、強いけどファンに愛されない。これではK−1も盛り上がらない。

―そういう意味でも印象深いのが、10年のグランプリ準決勝、シュルト選手との戦いです。40歳になったアーツ選手が、絶対王者の巨人シュルトに、ただただ前に出て圧倒していく!

アーツ あのときはめちゃくちゃモチベーションが上がってたよ。「絶対負けない!」って思っていたから。日本のファンの素晴らしいところは、負けても選手をリスペクトしてくれるところ。(母国)オランダでは、選手は1回でも負けたら「あいつはもう終わった」と言われてしまうから。そういう意味で、日本にすごく感謝しています。

【谷川氏のコメント】

正直、2000年代は、アーツには申し訳なかったです。モンスター路線も総合格闘技も、アーツは絡ませようがなくて、実際に浮いた存在でした。でも、そこで腐らずにずっとモチベーションを保っていたのはすごいことです。

実際問題、話題優先の“モンスター”はアーツにはぶつけられなかった。だって、アーツはどんなに大きい体の相手でも後ろに下がらないし、本当にめちゃくちゃ強いから勝負にならないんです。モンスター死んじゃうから!

あと総合格闘技はそもそもアーツには向いてなかった。総合は慎重で戦略家的な選手に向いていて、だからミルコ(・クロコップ)は向いていた。でもアーツはやろうとするんですよね。で、挑戦して大山峻護選手に一瞬で負けて……。

「アーツはK−1の象徴でいてくれれば」という気持ちでほったらかしてしまったのは否めません。僕にもっとアーツを輝かせられる手腕があり、ライバルになり得る選手がK−1にいたらなあと。

モンスター路線は、もちろんテレビ局側が求めたものでもあったけど、K−1初期の「世界は広い。まだまだすごいヤツがいる!」というコンセプトと根本は一緒のつもりでした。ただ、キャラクター優先の選手は、一回(リングに)上げるだけでよかった。テレビ局の要求もあって、引っ張り続けてしまったことは反省しています。

【4】K−1解体、GLORYへ(11〜13年)

アーツがシュルトを倒し、再びK−1人気が爆発するかと思われたが、翌年、K−1ワールドGPは開かれなかった。莫大な追徴課税、PRIDEとの選手引き抜き戦によるファイトマネーの高騰などがボディブローのように効いてきて、K−1の経営状態は悪化。事実上、解体する。

―K−1がなくなると聞いたときは、どういう気持ちでした?

アーツ 残念で、悲しかったよ。試合に集中する場所がなくなるのは本当につらかった。その後、戦いの場を移すことができたので、今は気持ちは落ち着いているけど……当時はキツかった。

―多くの選手がギャラの未払いをあちこちで発言していましたが、アーツ選手はひと言も公の場でそこは語りませんでしたよね。

アーツ だって、それは俺とK−1の間の話だから。ファンには関係のないことだよ。

―GLORYに移ったけど、とうとう引退です。しかも引退試合の相手は、GLORYの現ヘビー級チャンプのリコ・ベホーベン。

アーツ リコは俺よりも20歳くらい若いし勢いもある。もしかしたら俺は勝てないかもしれない。でも俺はチキンではないので、対戦相手が誰であろうと断ったことはない。今回も同じです。まぁ正直、GLORYサイドは俺を殺そうとしてると思うよ(笑)。リコを持ち上げるためにね。

―K−1の象徴であるアーツを新団体の若い王者が倒せば、時代が変わったという印象をファンに広められますものね。

アーツ そのとおり。でも俺は、俺の人生をかけて、今回のオファーをお受けします。

【谷川氏のコメント】

ギャラの未払いについて騒がれましたが、多くの外国人選手は最後の1試合だけ払えなかったんです。でも日本人選手や“身内”の外国人選手は―アーツはもう1試合分―その前から支払いが止まっている人もいます。だからアーツは、ギャラが振り込まれていないのにシュルトとあんなすごい試合をしてくれたんです……。

K−1崩壊の一番の理由は税金問題です。ほかにもいろいろな理由がありますが、一番はそれ。もちろん僕自身、反省しなければいけない点はたくさんあります。僕は社長でありながら、会社として経営をまったくやっていなかった。僕はもとが編集者なので「売れるコンテンツを作っていればいい」と思っていたんです。でも、経営は別の話でした。例えばK−1ジムを全国に展開して選手の引退後の生活を支える組織を作ったり、K−1のトレーニンググッズ販売のようなライツ的なことも一切しなかった。僕はプロデューサーとしてはやれたと思うけど、経営は未熟でした。申し訳ないです……。

そしてアーツの引退試合です。

ピーター・アーツという男を見ていると、心から「ファイターとは、かくあるべき」と思います。普通の選手はオファーした対戦相手を断ったりもするんです。でも彼は一度たりとも断ったことがない。それどころか、「強いヤツとやらせてくれ!」と言う。まさにファイターのかがみです。

今回の引退試合も、正直、格闘技界の未来を考えたら、対戦相手のリコが勝ったほうがいい。新しい時代が開けますから。でも、アーツが勝つと思うんですよね。僕、知ってますもん。最強に強い選手に立ち向かうときのアーツは本当に強いということを。

■「帝王」、最後の勇姿! 『GLORY 13 TOKYO』

日時:12月21日(土)15時試合開始(予定)

会場:東京・有明コロシアム

アーツ引退試合のほか、レミー・ボンヤスキー(K−1 ワールドGPで3度優勝)の引退試合、ジェロム・レ・バンナvsセルゲイ・ハリトーノフなど全10試合予定。チケットはチケットぴあほかで発売中。詳しくは【http://glory13.jp】

(取材・文/篠本634[short cut] 撮影[インタビュー]/長尾 迪)

●ピーター・アーツ(PETER AERTS)

1970年生まれ、オランダ出身。K−1 グランプリ94、95、98王者。6度の決勝トーナメントファイナル出場、16年連続決勝トーナメント進出といった偉大な記録を築いてきたと同時に、最も人々の記憶に残る選手。今月21日の『GLORY 13 TOKYO』(東京・有明コロシアム)でついにキックボクサーとしての選手生活を終える

●谷川貞治(たにがわ・さだはる)

1961年生まれ、愛知県出身。『格闘技通信』編集長などを務め、K−1は創業時より協力。2003年にK−1イベントプロデューサー(K−1運営会社FEG社長)に就任。2012年に辞任