今週はこれを読め! SF編

 グレッグ・イーガンを現代SFのトップランナーと位置づけることに、ぼくも異論はない(作品の質ではテッド・チャンのほうが上だが、いかんせんチャンは寡作だ)。しかし、人間原理とかコペンハーゲン解釈とかを都合よく用いたメタフィジカルなアイデアが出てくるたび、眉にツバをつけながら読んでいる。これ、なんだかアヤしくないか、と。

 その点、『白熱光』は安心だ。すべてがすっきりとフィジカル。これは健全なハードSFだ。ちょっとばかり手強いけれど。

 ふたつのストーリーが交互に語られる構成だ。

 奇数章は、SF読者にとってはおなじみの未来で進行する。人類が宇宙へと進出して数百万年以上が経過し、ほかの種族(生物由来だけではなく情報空間由来も含む)と融合している。物質現実/電脳空間の越境は日常だし、身体改変もあたりまえなので、誰がどの種族の出身かなどことさら意識することはない。人びとは銀河系全域にはりめぐらされた通信ネットワークに乗って旅をする。光速を超えることはできないが、不死同然の寿命があるのでほとんど支障はない。主人公ラケシュにとって最大の問題は退屈だ。銀河系で人が到達できる領域はくまなく探査されつくされてしまい、新しい冒険の余地、大きな発見の可能性はもはや残されていない。行きずりの仲間と暇つぶしをしてすごすだけの毎日はもう飽き飽きだ。

 そんな彼のもとに、千載一遇のチャンスが舞いこむ。銀河系で唯一未知の領域への切符だ。銀河系中央部の密集星群は、なにものかの意志あるいはなんらかの機構によって、外部からの接触ができなかった。入りこもうとすると、やんわりと送りかえされてしまう。そのため、人びとはこの領域を「孤高世界」と呼んでいた。しかし、銀河系の通信ネットワークで近道を試みたラールという人物が、この「孤高世界」の内部で実体化し、そこで見つけた小天体にDNAの痕跡を発見したのだ。ラールは自分の経験は「孤高世界」の意図によるものと考え、それ以上の調査をラケシュへ委ねる。ラケシュはもともとDNA由来の種族だから、適任だというのがその理由らしい。ラールが示唆された手順に従い、ラケシュは友人パランザムとともに「孤高世界」へ赴く。

 偶数章は、まったく見馴れぬ世界が舞台だ。〈スプリンター〉と呼ばれる天体だが、惑星でもスペースコロニーでもなく、どうやら岩石の内部の入りくんだトンネル状空間のようだ。とにかく余分な注釈はいっさいない。あくまで〈スプリンター〉に住む知的種族の視点で、その世界ほんらいの表現で、すべてが語られる。地球ならばあたりまえの東西南北という方向も、赤道や標高という表現はここにはない。〈スプリンター〉の周囲は〈白熱光〉と呼ばれる光が満ちているので、外界を観測することができないため天文学が発達せず、太陽や惑星という概念もない。〈白熱光〉は岩石を通過して(フィルターのような効果があって輝度は和らぐようだ)〈スプリンター〉全域を照らしている。

〈スプリンター〉住人のなかに、この世界の原理を解きあかそうとするザックという男がいた。彼が注目したのは"重さ"である。〈スプリンター〉には"重さ"がなくなる中心線がある。このヌル線と呼ばれるところから離れると、徐々に"重さ"が増していく。ただし、"重さ"の向きがヌル線方向に引っぱられる方角と、逆方向に引っぱられる方角がある。そのふたつの方角は直交する。つまり(作中ではそういう表現はないが)ヌル線がx軸だとしたら、"重さ"が内向きになるy軸と、外向きになるz軸があるのだ。言葉で説明しようとするとややこしいが、図にするとイメージがつきやすい。この翻訳の訳語・訳文検討の相談役を務めた板倉充洋氏が解説サイトをつくっているので、そちらを参照されたし(http://d.hatena.ne.jp/ita/00000101)。

 たとえばニュートンが万有引力を、アインシュタインが相対性理論を見いだしたように、ザックとその協力者ロイは〈スプリンター〉の物理の根本を発見していくのだが、読者にとってもその過程はめくるめく知的昂奮だ。繰り返すがすべてがフィジカル。ぼくたちが知っている物理と等価だが、あくまで〈スプリンター〉で可能な観察・実験・推察・検証によっている。そして、徐々に〈スプリンター〉がどういう天体なのかが判明する。この展望が開けていく感覚が素晴らしい。しかも、天体物理的な要因で〈スプリンター〉に破滅の危機が迫っており、それを回避するためにも理論の追究を急がなければならない。この展開は、むかし懐かしい宇宙/破滅SFのテイストだ。

 天文学的なスペクタクルと併走して、もうひとつのテーマとも言える「好奇心・探求心の発動」が奇数章と偶数章を貫いている。こちらに対しても、大胆で華麗なアプローチがされている。イーガンは「知性にとって好奇心・探求心は本然」なんてもっともらしい念仏は唱えない。自由意志の問題とも関わる、かなりスリリングな仮説が提示される。

 さて、この作品を牽引するいちばんの動力は、奇数章と偶数章がどういう位相でつながっているかという興味だろう。注意深く読めば、ラケシュが銀河中心領域でおこなう探査が、〈スプリンター〉の成りたち(そして運命)を別な角度から照らす仕掛けだとがわかる。その手がかりを組みあげていくのは、ミステリを読む楽しさだ。

 しかし、それだけで終わらない。最後の最後になってその照応のベクトルがひっくり返って、〈スプリンター〉側ストーリーの結末が、ラケシュ側ストーリーにおける最大の謎「孤高世界」の意志・機構のありかを示す。ナイフで断ちおとしたような、なんて鮮やかなフィナーレ。

(牧眞司)

『白熱光 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ) (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ 5012)』 著者:グレッグ・イーガン 出版社:早川書房 >>元の記事を見る

■ 関連記事・宇宙をゆくAI人格の眠れぬ夜。よみがえる愛が宇宙を滅ぼす。エマノンの失われた記憶をさがす旅、カリブの島で行きあった仲間たち不穏な傑作「パーキー・パットの日々」、ヴァン・ヴォクト調の快作「変数人間」

■配信元
WEB本の雑誌