今週はこれを読め! ミステリー編

 千早茜『眠りの庭』(角川書店)には二つの小説が収録されている。「アカイツタ」と「イヌガン」だ。二つの小説は密接な結びつきを持っている。そのことは書いてしまっていいだろう。「アカイツタ」はそれだけで一つの物語として完結しているのだが、「イヌガン」と結合することで別の角度から光が当てられるようになるのである。ルイ・C・トーマの緊密なサスペンスの後ろに、フレドリック・ダール作の短篇が合体したような感じというか。

 わかりにくいか、ごめん。まあでもそんな感じ。

「アカイツタ」の主人公・萩原は、臨時教師として女子校に雇われた美術教師だ。美大に入るまでは将来を嘱望された絵描きだった彼だが、今はもう絵筆を握ることもなく、自堕落な日々を送っている。登校は遅刻すれすれの不良教師だし(だからやんちゃな生徒にはちょっとだけ人気がある)、女性教師と校内で肉体関係を結ぶこともある。

 そんな萩原がキャンバスに描かれた一枚の絵を見たことから事態は動き始めるのである。卒業生たちが学校に置いていった作品の中にその絵は紛れ込んでいた。鈴木澪という生徒の作品だ。鈴木がその絵を取りに来ることはできない。なぜならば彼女はもうこの世の人ではないからだ。

 絵は少女の正面像を描いたもので、萩原はそれを鈴木の自画像かと考える。だとすれば少し奇妙な自画像なのである。絵には、思春期の人間が持つような、自意識の痕跡が薄かったからだ。彼は絵に興味を持ち、日常的に眺めるようになる。その彼の前に現れたのが、真壁秋霜の娘だった。真壁は萩原の通っていた大学で教鞭をとっていた人物であり、彼に臨時教師の職を与えてくれた恩人でもあった。そして美大時代の因縁から、萩原が最も会いたくない人間でもある。真壁の娘は、父親と同じ、人を見下すような態度で萩原に接してくる。彼女の名前は小波(さなみ)といった。

 千早茜は第21回小説すばる新人賞を授けられた『魚神』(集英社文庫)が第37回泉鏡花文学賞も獲得するという祝福されたデビューの仕方をした作家だ。『魚神』は娼家が統べる島に生まれた姉弟の数奇な運命を描いた作品であった。頽廃の香りする表層をめくって奥を覗くとそこには神話構造が隠されているという土台のしっかりした小説で、新人らしからぬ筆力に驚嘆した覚えがある。この作品も、出だしはごく普通の学園小説の装いだ。やる気のない教師と女子生徒が会話する場面から、その後の展開を予想しうる読者は少ないだろう。

 話が一気にギアチェンジするのは、萩原がかつての恩師である真壁秋霜を訪ねる場面からだ。そこで真壁の口から語られる言葉が話の下部にある「構造」が仕込まれていることを匂わせるのである。勘のいい読者なら、ああ、とその先の展開を察したような気分になることだろう。そういうことか、だからこういう人物配置なのか、と。

 違うのである。それだけではない。作者はその「構造」をさらに解体し、読者を未知の境地へと誘っていく。理解した、と思った瞬間に目の前の人はまた違う角度の表情を見せるようになり、永遠にその素顔をとらえることはできない。追いつけるのはあくまで目の前の人が残した影だけなのであり、影法師を踏みつけることはできてもその人自身を抱きとめることはできない。たとえ相手が、抱きしめてもらうことを切望していたとしても。そうした隔絶の哀しみが描かれた小説である。近づきたいという執念、近づけないという諦念がともに、猛烈な痛みを伴う形で表現されている。ミステリーとしての驚きが、その感情と共に発動する仕掛けなのである。

「イヌガン」の登場人物がこんなことを言う。人を信じることについての言葉だ。

 

----「信じるのって相手に失礼じゃない?」と澪が言った。みんな、きょとんとした顔をした。

「だって、人って刻一刻と変化するのに。信じられたら変われないじゃない。それってちょっと重荷じゃないかな」

 

 どんな思いもてのひらをすり抜けていく。先行きの見えない物語に寄り添って読んでみてほしい。登場人物たちが味わう感情をぜひ共有してもらいたいのだ。

(杉江松恋)

『眠りの庭 (単行本)』 著者:千早 茜 出版社:角川書店 >>元の記事を見る

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