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「青春18きっぷ」は国鉄時代の1982(昭和57)年、「青春18のびのびきっぷ」の名前で発売された。当時の国鉄は累積赤字が大問題で、増収のための苦肉の策という見方も多かった。ところが、発売されてみると、思いきった施策としてメディアから絶賛され、ターゲットであった18歳前後の若者を中心に大ヒットした。国鉄がJRに移行した現在も、年3回の「青春18きっぷ」は大きな収入源となっているようだ。

その「青春18のびのびきっぷ」の初代キャンペーンソングは、なんと国鉄職員が歌っていた。富山車掌区の車掌だったという。赤字の国鉄だからプロの歌手を起用できず、経費削減で歌のうまい社員を使った……のではない。この車掌は当時、全国ネットの音楽番組に毎週出演するほど大人気のシンガーソングライターだった。

「青春18のびのびきっぷ」のキャンペーンソング「青春18」を歌ったシンガーソングライターは伊藤敏博さん。当時26歳。その前年にポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)に出場し、「サヨナラ模様」でグランプリを獲得。レコードデビューすると70万枚の大ヒットとなった。一方で国鉄勤務も続け、氷見線、城端線、高山本線、神岡線(後の神岡鉄道神岡線。現在は廃止)、富山港線(現在の富山ライトレール富山港線)、北陸本線に乗務していた。

当時、伊藤さんはTBS『ザ・ベストテン』でも毎週ランク入りするほどの常連アーチスト。同時期のヒットソングは、近藤真彦さんの「ギンギラギンにさりげなく」、松田聖子さんの「風立ちぬ」、山本譲二さんの「みちのくひとり旅」などだった。

現役の国鉄車掌だった伊藤さんは、東京のスタジオに行けず、つねに富山の駅から生中継。司会の久米宏さんが、「追いかけます、お出かけならばどこまでも!」と声を上げると、生中継で伊藤さんが登場するパターンだった。当時の富山駅では、女性ファンから乗務区間の問い合わせが殺到していたらしい。

伊藤さんは中学時代からギターを鳴らし、高校時代はコピーバンドを組んでいた。高校卒業とともに国鉄に入り、20歳で車掌試験に合格。職場の先輩とフォークバンドを結成して路上ライブを行った。ポプコンの応募は1980年から。応募曲「親不知情景 / 木流川」がレコード化され、翌年、「サヨナラ模様」でグランプリ。「歌う車掌さん」として全国区の人気となった。

その後はテレビの旅番組のテーマ曲なども手がけた。国鉄がJRへ移行する機会に退職し、現在も富山を中心に全国でライブを行っている。富山ではラジオ番組「伊藤敏博的歌の万華鏡」にレギュラー出演中。今年12月に東京でライブが開催され、来年1月には大阪ビジネスパークでの「鉄道博2014」に出演予定とのこと。

(杉山淳一)