【前編】今季限りでの引退を発表した北嶋秀朗。数字では測れない彼の貢献に、クラブはどう応えるべきか
■自分との約束を破るわけにはいかない
先月17日、J2熊本はFW北嶋秀朗が今シーズン限りで現役を引退することを発表した。
もちろん、今まで8度の手術を受けた両膝は万全ではない。だが彼自身、翌18日の会見で「もっと身体が動かなかった時期は何年も前に経験した」と明かしているように、主な理由は怪我ではなかった。むしろ引退を発表してからのコンディションは良く、パフォーマンスも上向いている。
気持ちも決して萎えてはいない。チームメイトに引退することを伝えた時にも、「ゲームに出られないのはやっぱりムカつく。だから今までと同じように、ポジションを取るために競争する」と話したという。
それでも、北嶋は辞める決意をした。理由については、会見の席で次のように述べた。
「2005年に膝を怪我して以降、毎年『この試合でゴールを決めることができなければやめる』と定めた試合で、必ず点を取ってきました。でも今年、そう定めた試合で点を取れなかった。それが自分で許せなかったし、小さい頃から、自分との約束を守りながらサッカーを続けてきた。この自分との約束を破れば、今後もサッカーに対して嘘をつくことになる。だから終わりなんです」
決めたことを曲げずにここまで来たからこそ、そのスタンスも曲げるわけにはいかなかった。
今まで口に出せずにいたことを、 正式に発表できたことによる安堵。そして自身のプロ生活に対して「俺、やったよね」と思える誇り。そうした感情が、17年間にわたって苦悶しながら戦い続けてきた男の表情を実におだやかなものにしていた。
■自分のゴールで勝たせたかった
北嶋が今年、「この試合」と定めたのは、7月14日にホームで行われた第24節の岐阜戦である。吉田靖前監督が退任し、クラブの社長を務めていた池谷友良氏が監督代行として現場に復帰した最初のゲームだ。
1997年に市立船橋高を卒業して柏レイソルに進んだ北嶋にとって、当時サテライトのコーチだった池谷氏は、プロの世界で初めて接した指導者だ。さらに言えば、「若くて考えが幼く、正しい振る舞いができていなかった自分を、辛抱強い指導でプロサッカー選手にしてくれた」存在。昨年、柏から熊本へ、J1からJ2へと戦う場所を移すことを決めたのも、池谷氏からの熱心なオファーがあったからである。
そんな恩師の現場復帰戦で、自らも先発出場。「結果を出すことで周りを認めさせてきた」北嶋にとって、この一戦はまさしく「いろんな背景」が揃った“特別な試合”だった。
結果は、立ち上がりに堀米勇輝のゴールで先制したものの、終了間際に追いつかれて1-1の引き分け。チームは勝点を1加えたが、3試合ぶり、今季7度めの先発でフル出場した北嶋は、この試合でシュートを打てなかった。つまり自らに課した「点を取る」というミッションを果たすことができなかった。
「池谷さんを現場に引っ張り出してしまった責任を感じていました。池谷さんのためにも、この一戦で今までの悪い流れを断ち切りたかった。自分のゴールで勝たせるんだと思っていたから…、終わってから気持ちの整理に時間がかかりました」
試合のあと、ミックスゾーンに現れた北嶋は、そう言葉を絞り出した。
■著者プロフィール
井芹貴志
1971年生まれ。大学卒業後、情報誌の編集に11年携わり、2005年よりフリー。九州リーグ時代から熊本を取材し、「J's GOAL」「週刊サッカーダイジェスト」「エルゴラッソ」などで熊本を担当。
先月17日、J2熊本はFW北嶋秀朗が今シーズン限りで現役を引退することを発表した。
もちろん、今まで8度の手術を受けた両膝は万全ではない。だが彼自身、翌18日の会見で「もっと身体が動かなかった時期は何年も前に経験した」と明かしているように、主な理由は怪我ではなかった。むしろ引退を発表してからのコンディションは良く、パフォーマンスも上向いている。
それでも、北嶋は辞める決意をした。理由については、会見の席で次のように述べた。
「2005年に膝を怪我して以降、毎年『この試合でゴールを決めることができなければやめる』と定めた試合で、必ず点を取ってきました。でも今年、そう定めた試合で点を取れなかった。それが自分で許せなかったし、小さい頃から、自分との約束を守りながらサッカーを続けてきた。この自分との約束を破れば、今後もサッカーに対して嘘をつくことになる。だから終わりなんです」
決めたことを曲げずにここまで来たからこそ、そのスタンスも曲げるわけにはいかなかった。
今まで口に出せずにいたことを、 正式に発表できたことによる安堵。そして自身のプロ生活に対して「俺、やったよね」と思える誇り。そうした感情が、17年間にわたって苦悶しながら戦い続けてきた男の表情を実におだやかなものにしていた。
■自分のゴールで勝たせたかった
北嶋が今年、「この試合」と定めたのは、7月14日にホームで行われた第24節の岐阜戦である。吉田靖前監督が退任し、クラブの社長を務めていた池谷友良氏が監督代行として現場に復帰した最初のゲームだ。
1997年に市立船橋高を卒業して柏レイソルに進んだ北嶋にとって、当時サテライトのコーチだった池谷氏は、プロの世界で初めて接した指導者だ。さらに言えば、「若くて考えが幼く、正しい振る舞いができていなかった自分を、辛抱強い指導でプロサッカー選手にしてくれた」存在。昨年、柏から熊本へ、J1からJ2へと戦う場所を移すことを決めたのも、池谷氏からの熱心なオファーがあったからである。
そんな恩師の現場復帰戦で、自らも先発出場。「結果を出すことで周りを認めさせてきた」北嶋にとって、この一戦はまさしく「いろんな背景」が揃った“特別な試合”だった。
結果は、立ち上がりに堀米勇輝のゴールで先制したものの、終了間際に追いつかれて1-1の引き分け。チームは勝点を1加えたが、3試合ぶり、今季7度めの先発でフル出場した北嶋は、この試合でシュートを打てなかった。つまり自らに課した「点を取る」というミッションを果たすことができなかった。
「池谷さんを現場に引っ張り出してしまった責任を感じていました。池谷さんのためにも、この一戦で今までの悪い流れを断ち切りたかった。自分のゴールで勝たせるんだと思っていたから…、終わってから気持ちの整理に時間がかかりました」
試合のあと、ミックスゾーンに現れた北嶋は、そう言葉を絞り出した。
■著者プロフィール
井芹貴志
1971年生まれ。大学卒業後、情報誌の編集に11年携わり、2005年よりフリー。九州リーグ時代から熊本を取材し、「J's GOAL」「週刊サッカーダイジェスト」「エルゴラッソ」などで熊本を担当。
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