三国志時代に魏の支配者として活躍した曹操(155-220年)の子孫12人が23日、遼寧省瀋陽市で集合した。復旦大学が「子孫認定」をした人々だが、古い時代などにさかのぼる家系図が失われているためどちらが「尊属」であるかはわからない。そのため、初対面の相手に対してどのような態度をとるか「探り合い」の状態になり、ぎこちなかったという。中国新聞社が報じた。

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 三国志時代に魏の支配者として活躍した曹操(155-220年)の子孫12人が23日、遼寧省瀋陽市で集合した。復旦大学が「子孫認定」をした人々だが、古い時代などにさかのぼる家系図が失われているためどちらが「尊属」であるかはわからない。そのため、初対面の相手に対してどのような態度をとるか「探り合い」の状態になり、ぎこちなかったという。中国新聞社などが報じた。

 復旦大学は中国全国の「曹」姓の家系258系統を調査。「曹操の子孫」の可能性がある8族についてさらにDNA鑑定を実施した。その結果6系統を「曹操の子孫」と断定した。

 さまざまな記録を研究し、さらにDNAを鑑定したところ、一部に「中国全国の人口のうちでも5%程度の人しかもたない」部分があることを確認。6系統の一族が曹操の子孫でない可能性は1000万分の3程度まで絞り込むことができた。

 誤りの可能性がほとんどなくなり「法医学上の見地からも、彼らを曹操の子孫と認定することができた」という。23日に面会したのは、そのうちの2系統に属する12人だ。

 遼寧省鉄嶺県腰堡鎮と同省東港市に住む2系統の「曹氏一族」が、省都の瀋陽市内で面会することになった。

 しかし現状では、家系が整っていない。中国人は世代による長幼の順を重んじる。例えば、親の世代で兄弟の歳が大きく離れていれば、自分は20歳、叔父が10歳という場合もあるが、「20歳の自分は10歳の叔父に対して目下としてふるまわねばならない」ということが常識だ。

 まして、曹操から2000年近くも経過した現在になってしまったため、初対面の「親類」に対して、目下としてふるまわねばならないのか、目上として接すればよいのか、皆目見当がつかない。言葉づかいや態度も「探り合い」の状態で、会話はどうしても、ぎこちなくなってしまったという。

 ただ、「一族に会えた喜び」はやはり、ひとしおだった。腰堡鎮の曹一族を率いてやってきた曹祖義さんは「この濃い眉毛なんですよ。みんな同じでしょ。一目見て、同じ家の者と分かりますよ」と満足そうだった。

 今後、腰堡鎮と東港市の「曹操の子孫」は、互いに残されている家系図の比較研究を行い、一族の歴史をできるかぎり再現していくという。(写真は中国新聞社の25日付報道。曹祖義さん)(編集担当:如月隼人)