オリバー・ストーン&ピーター・カズニック『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 2 ケネディと世界存亡の危機』熊谷玲美ほか訳、早川書房
映画監督のストーンと歴史学者のカズニックが組んで制作したテレビドキュメンタリーシリーズの書籍版。その第2巻では、第二次大戦後の冷戦の幕開けから、1970年代のニクソン大統領辞任までをとりあげる。

写真拡大

2013年11月22日(日本時間では23日)で、アメリカの第35代大統領、ジョン・F・ケネディの暗殺からちょうど半世紀を迎える(50年前と今年は、曜日も同じだったりする)。ちょうどその長女であるキャロライン・ケネディが駐日大使に就任するタイミングとも重なり、さまざまなメディアがケネディ回顧の企画を組んでいる。

エキレビ!でもこれに乗じて何かやろうと思い立ったものの、ケネディの業績や暗殺の謎についてはすでに多くの書籍も出ていることだし、わざわざここでとりあげる必要もない気がする。考えた末に、ここは「意外」をキーワードに、ケネディに関する作品、あるいは同時代の日本におけるケネディ暗殺の反応をとりあげてみたいと思う。まず初めは、ケネディを描いた作品をめぐる「意外」だ。

■意外と少ない? ケネディを演じた有名俳優
ケネディに関しては、アメリカを中心に、ドキュメンタリー、フィクションと映像化作品も数多くつくられている。NHKのBS1の「世界のドキュメンタリー」枠でも以前からケネディに関する海外ドキュメンタリーがたびたび放映されており、暗殺50周年を迎えるにあたっては2週にわたり特集を組んだ。そのなかには、ケネディ暗殺をリアルタイムで伝えたテレビマンたちの当日の行動を追ったものがあったり、ケネディの後任者であるリンドン・ジョンソンをクローズアップしたものがあったりと、まだまだ切り口は尽きないという印象を受けた。

一方、ドラマにもケネディが登場するものは少なくない。1962年のキューバ危機を描いた映画「13デイズ」(ロジャー・ドナルドソン監督、2000年)ではブルース・グリーンウッドが、アメリカ・カナダの共同製作によるテレビドラマ「ケネディ家の人びと」(2011年)ではグレッグ・キニアがそれぞれJFKに扮した。珍しいところでは、宝塚歌劇の「JFK」(1995年)では、一路真輝がケネディを演じていたりする。

とはいえ、これら作品以外に、ケネディを有名俳優を演じたものとなると意外と思い浮かばない。オリバー・ストーン監督には「JFK」(1991年)という作品があるが、これは伝記映画ではなく、ケビン・コスナー演じる地方検事が暗殺の真相を探るという内容であり、登場するケネディの映像は記録映像がほとんどだった。

同じくストーン監督の「ニクソン」(1995年。主演はアンソニー・ホプキンス)は、正真正銘の伝記映画である。劇中には、有名な1960年の大統領選挙でのケネディとニクソンによるテレビ討論の再現シーンもあるが、ここでも登場するのは記録映像から合成した“本物”のケネディだ。いくら映像処理技術が進んでも、俳優が演じる映像と、現実の著名人の映像を組み合わせた映像には違和感を覚えてしまう。いや、むしろストーン監督は、あえて違和感を生じさせたような気すらする。

当然ながら、映像のなかの人物は老いることはない。いつまでも若々しいイメージで記憶され、時代のイコンとなったケネディを、俳優の演じる“生身の人間”たるニクソンが相手にしてもむなしいだけだ。映画「ニクソン」における両者の“共演シーン”では、ケネディに対するニクソンの“超えられない壁”を感じずにはいられない。

なお、オリバー・ストーンは2012年に歴史学者のピーター・カズニックとともに、アメリカの現代史を再考する「オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史」という全10回にわたるドキュメンタリー番組を制作しており、これも前出のNHK BS1「世界のドキュメンタリー」で放映された。

いまのところDVDなどソフト化はされていないようだが、書籍版全3巻は出ている。ただ、テレビの本編では、たとえば米ソの核競争のくだりで映画「博士の異常な愛情」をとりあげるなど、“現代史と並行した映画史”的な側面があるのに、書籍版ではその要素がほぼ削られてしまっているのが惜しい。

■初の衛星中継で伝えられたのは「砂漠」だった!?
日本にとってケネディ暗殺は、日米間における初のテレビの衛星中継により伝えられたニュースでもある。ただし厳密にいえば、最初にアメリカから送られてきた映像はそのニュースではなかった。日本時間で11月23日午前5時27分から全国放送された1回目の中継実験では、「NASA」と書かれたテストパターンに続き、カリフォルニア州のモハーヴェ砂漠の風景が映し出されたという。当初はケネディから日本国民に向けてのメッセージ(録画)が放送される予定であったが、急遽差し替えになったのだ。

2回目の実験中継は午前8時58分に行なわれ、ここで「アメリカ合衆国からの特別プログラムを送ります」との手書きの文字が出されたのち、ケネディ暗殺が報じられた。NHKの放送でありながら、出演したのは大阪・毎日放送のニューヨーク特派員の前田治郎で、その第一声は「日本のみなさま、この歴史的電波に乗せて、誠に悲しむべきニュースをお伝えしなければなりません」というものであった。

このときアメリカから、通信衛星「リレー1号」を介してテレビ電波を受信したのは、国際電電茨城宇宙通信実験所(のちのKDDI茨城衛星通信センター)の直径20メートルのパラボラアンテナだった。同実験所はその3日前に開所したばかりだったというから驚く。

ケネディ暗殺を伝えた中継実験は、翌年の1964年の東京オリンピックを見越したものであったが、実用化するにはもう一歩であった。というのも、このとき使った通信衛星が地球を回る周期は、地球の自転の周期に合っておらず、一地点での通信利用の時間が10数分に制限されたからだ。これではオリンピック中継では不都合が生じる。

これを解決したのが、地球の自転速度とほぼ同じ速さで地球の周囲を回る静止衛星(実際には動いているのだが、地上からは止まって見えるためこう呼ぶ)であった。東京オリンピックは、その開催の2カ月前、1964年8月にアメリカが打ち上げた静止衛星「シンコム5号」を利用して、世界に向けて開会式や競技の様子が伝えられたのである。

■当時の日本の世情だって意外と不安定だった
ケネディが暗殺された時期というのは、日本でも世情が何かと騒がしい時期であった。暗殺事件の報じられる2週間前、1963年11月9日には、福岡県の三井三池炭鉱の爆発事故と、横浜市で起きた国鉄(現・JR)鶴見線で二重衝突事故と、大事故が重なり合計で600人を超える犠牲者が出た。朝日新聞はこの日を「魔の土曜日」と表現した。

11月21日(ちなみにこの日は木曜日)には第30回衆議院議員選挙が実施されている。結果が判明したのはその翌日のことだ。この選挙期間中には、首相の池田勇人や共産党の野坂参三など要人を狙ったテロ未遂事件が続発している。

また前年からこの年にかけては、芸能人などに爆弾入りの封筒を送りつけたり、地下鉄構内に爆弾を仕掛け爆発させたりといった事件があいついでいた。これら一連の事件は、封筒などの署名から「草加次郎事件」と呼ばれたが、容疑者逮捕にまではいたらず、未解決のままである。

さらに1963年12月には、都内のナイトクラブで力道山が暴力団員に口論から刺殺されているし、翌1964年3月には、前出のアメリカ大使・ライシャワーが精神病患者にナイフで刺されるという事件も起きている。

いずれも東京オリンピック開催のほんの少し前のできごとだということに驚かされる。この時代というと、とかく明るい面が強調されがちだが、いまとくらべると案外物騒な時代であった点には留意したい。

なお、池田勇人は、ケネディの葬儀に参列したのち、「俺もできるなら短刀のひとつも突き刺されて、弾丸の一発も撃ちこまれて、死にたい。それが政治家池田の本望じゃないか。葬式に列席しているアイゼンハワーとトルーマンがしょんぼりしているのを見て、あんなふうに生きながらえて、いったい、なんになるだろうと思った」と、秘書官だった伊藤昌哉に語ったという(伊藤昌哉『池田勇人とその時代』)。池田は殺されこそしなかったが、がんを発症し、東京オリンピックの閉会を花道に退陣、あくる年、1965年に亡くなった。

しかし、ケネディや東京オリンピックが話題にのぼる2013年って、一体いまはいつなのか、ちょっと時間の感覚が狂いそう!?
(近藤正高)