今週はこれを読め! ミステリー編

 この週末は素敵な犯罪映画が3本も封切になる。嬉しい悲鳴を上げたいほどだ。トニーノ・ブナキスタ『マラヴィータ』(文春文庫)原作の同題映画とコーマック・マッカーシー『悪の法則』(早川書房)が15日の封切、アーヴィン・ウェルシュ『フィルス』(パルコ)原作の同題映画が16日である。ね、困っちゃうでしょう? ちなみに『マラヴィータ』は一般公開、『悪の法則』がR15で、『フィルス』がR18指定である。 簡単にそれぞれの原作の紹介をしておくと、『マラヴィータ』は廃業してFBIの証人保護プログラムを受け、フランスの片田舎に移り住んだマフィア一家が引き起こす騒動を描く小説である。最初に読んだときの印象は「永井豪『あばしり一家』のフランス版」。暴力と日常描写のブレンド加減が『あばしり一家』そのままなのである。あれとの違いはエッチでコミックリリーフ役の五エ門兄キがいないことぐらいかな。『悪の法則』は大作家マッカーシーが自ら脚本を書いて製作会社に売り込んだという作品で、彼らしく限界まで切り詰められた構成が魅力的である。『血と暴力の国』(映画化題名『ノーカントリー』)のように無慈悲な死を描いている点が特徴的で、特に終盤になるとその残酷さが加速していく。 そして最大の話題作が『フィルス』だ。映画化に併せて本も刊行されたが、実はこれは復刊。最初の翻訳は1999年で、アーティストハウスから刊行された。青、ピンク、黄の3通りのカバーで発売されたから、ご記憶の方も多いのではないか。私が持っているバージョンは青である。そのアーティストハウス版の訳者が自分で手をいれた改訳バージョンが今回のパルコ版となる。主人公ブルース・ロバートソンを演じるジェームズ・マカヴォイが表紙を飾っている。 1990年代後半に存在した潮流の1つに、理性で整理しきれない衝動や抑えることができない怒りを直視し、ありのままに描く犯罪小説の興隆があった。『フィルス』元版が刊行された1999年から3.11同時多発テロが起きた2001年までの2年間は、日本に紹介される作品の量や質がもっとも充実していた豊穣期だったのである。 1999年には本書やチャック・パラニューク『ファイト・クラブ』(現・ハヤカワ文庫NV)、2000年にはシェイマス・スミス『Mr.クイン』(ミステリアス・プレス文庫)、ヴィルジニ・デパント『バカなヤツらは皆殺し』(文藝春秋)などの諸作が翻訳されている。しかも紹介は多岐にわたり、主流文学系作家であるハロルド・ジェフィ『ストレート・レザー』(新潮社)などの越境組の作品までが世に出たのである。犯罪、そして暴力が魅力的な題材として作家を吸い寄せた時代だったということだ。この辺の時代感覚は、雑誌「ユリイカ」の2000年12月増刊号「ジェイムズ・エルロイ ノワールの世界」に霜月蒼と共著したブックガイド「ノワールの世界」で集中的に書いている。 話を『フィルス』に戻そう。この小説が第一に読者に伝えるものは、人間という器の脆弱さである。もっと言えば、「力」を手にした人間の万能感と、その人間の現実的な肉体とを対比するその図式に意味がある。「力」を行使できるほど人間という器は強くないのだ。主人公ブルース・ロバートソンはエディンバラ市警の刑事だが、殺人事件の捜査を進めると同時に昇進して警部補になるための策謀を署内で巡らせている。「仕事で生き抜くには、ゲームをやるしかない」とうそぶくように、サバイバル・ゲームのように、あるいはモノポリーのような陣取りゲームのように人生を認識していて、そのためには手段を選ばない男なのである。彼にとって同僚は友人などではなく利用するものだ。だからいつも弱みを収集することを怠らず、しかるべきときのためにそれをしまいこんでいる。また、地元の共同体ではフリーメイソンに参加し、有力者たちとのコネ作りにも余念がない。さらにはもっとヤバいことにも手を染め、表からではなく裏からも力の網を張り巡らせようとしている。 さて、この男、前のめりになって突進していくブルース・ロバートソンは本当の「力」を手に入れることができるのだろうか。もっと言えば、「力」によって何かをつかむことはできるのだろうか。何かって? 何か? うん、そう、たとえば地位とか名誉とか成功とか、それからそれから、幸せとか。読者はそれを興味津々の目で眺めるわけである。 ブルースの語りはとんでもなく自己中心的で、野卑で、はっきり言えば下品だし、おまけに生理的な嫌悪感を催すような描写がそこかしこに出てくる。いや、ほぼ全ページに出てくる。主要な登場人物の一人(一匹?)はブルースの体内にいるサナダムシだし。ほとほと嫌気がさすほどの悪趣味さだ。しかし読み始めれば文章から目が離せなくなる。なるはずだ。彼の用いる力、彼の性格、狡猾さ、汚さ、それらの要素は特殊なものではない。どこにでもある。あまねくある。大腸と大腸菌のように分かちがたい存在として人間にひっついている。それを思い知らされる。嫌かもしれないけど。(杉江松恋)
『フィルス』 著者:アーヴィン・ウェルシュ 出版社:パルコ >>元の記事を見る

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