松木安太郎 (撮影:2012年12月)

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■一流のエンターテイナーとは何か

11月10日、WOWOWが主催するトークライブイベント「Talkstock 2013」に出演させていただいた。ベルサール渋谷ガーデンにて開催された同イベントにて、共演することになったのは、音楽ジャーナリストの鹿野淳氏、ライターの速水健朗氏、解説者の玉乃淳氏、そして元日本代表DFにして日本サッカーNo.1の知名度を誇るであろう解説者、松木安太郎氏だった。

ゲストとして招かれた松木氏の出演時間は、2時間のトークショーの中で30分ほど。約4分の1の時間にしか過ぎなかった。だが、観に来ていた人々はほかの出演者の4倍を超える濃度の影響を受けたのではないか。短いセンテンスを駆使しながら必ず話に“落ち”を付ける旺盛なサービス精神、メリハリの効いた語り口、激しいボディランゲージと「顔でしゃべる」と言われるほどの豊かな表情。まさに一流のエンターテイナーとは何かを体感するような30分間だった。

松木氏は本当に洞察力に富んだ解説者である。話の内容は日本代表だったのだが、短い時間で客層にマニアが多いことを察すると、日本代表のフォーメーション変更などの突っ込んだテーマを熱く語り始め、瞬く間に聴衆を引き込んでいくさまは見事というほかなかった。

民放でのテレビ解説時は「初めてサッカーを観る人でも楽しく観られるように」と常に初心者目線でサッカーの面白いポイント(騒ぐべきポイントと言い換えてもいいかもしれない)を感覚的に分かるように伝えることを意識しているそうだが、この日はロジカルに現状の日本代表の課題について切り込みつつ、一部でくすぶる監督交代論については快刀乱麻を断つがごとく「リスクでしかない」と切って捨ててみせた。その場に残ったのは確かな爽快感と、松木氏に対する強い共感性である。

■「幸せな解説者」であるからこその突き抜けた人気

松木氏のことは個人的に「幸せな解説者」と呼んでいる。共感性を重視してサッカーに詳しくない視聴者に「寄って語る」スタイルについては種々の批判もあり、マニアやサッカー畑の中にいる人の中には松木氏のことを毛嫌いする人も少なくない。ただ、松木氏が20年近くに及ぶ解説者としてのキャリアの中で辿り着いた境地は、決して「何も分かっていない人が感情的に騒いでいるだけ」といったものではない。

サッカー畑の中にいる人にとって試合というのは神聖不可侵の場であって、外野に荒らされたいものではない。それは生活の場でもある。一方で、サッカー畑の外にいる人にとって、テレビでサッカーを観るという行為は本質的に「娯楽」でしかない。こうしたギャップはJリーグの人気低迷の一因ではないかと個人的に思っているのだが、時として大きな齟齬を生み出していく問題でもある。

「楽しむ」ためだけに、たまたま日本代表の試合へとチャンネルを合わせた人が、辛気くさく選手の欠点をあげつらい、日本サッカーのレベルの低さを高みから指摘したり、自身のキャリアを不必要に誇ったりするような解説を好むかと言えば、これは甚だ怪しいというもの。大抵の人は、日本代表の試合を観て暗くなりたいのではなくて、元気になりたいのである。

少なくない解説者が隣にいる実況アナウンサーに向かってしゃべっていたり、あるいは関係者に向かって話していたりするわけだが、本来彼らが相手にすべきはテレビの向こう側にいる視聴者なのだ。そうしたプロ意識を松木氏は旺盛に持っていて、サービスを欠かさないし、アウェイとなれば現地でネタの仕入れにも余念がない。

もちろん、実況アナウンサーとのコンビネーションが悪いと、松木氏の解説が空回りすることもある。ただ、これはアナウンサー側の問題だ。かく言う僕にも松木氏の解説が嫌いだった時期はあるのだが、いまにして思えば当時の松木氏と組む機会の多かったアナウンサーはサッカーの実況に向いていないタイプだった。試合なんて観ていれば分かるのだから、必要なのは現地ならではの感覚的な感想と、一緒に目の前の試合を観て楽しんでいるという共感性である。多数派の視聴者が求めているのは、自分たちと一緒に試合を楽しんでくれる「幸せな解説者」であり、だからこそ松木氏の人気は突き抜けているのではないだろうか。

■著者プロフィール
川端暁彦
1979年8月7日生まれ、 大分県出身。元「エル・ゴラッソ」編集長。現在はフリーとして活動。