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何事にも日本一や日本初がある。多くは横浜や神戸といった鎖国後に開かれた港町や、東京や大阪といった大都会だが、実は意外なものに地方が初めてということがある。その中のひとつ、日本で最初に国産バスが走ったのは、広島市の横川と河部(かべ)の間だったということをご存知だろうか。

○最初の国産バスは明治38年2月に登場

正確に言うなら、複数の人が乗った車(バス)が日本で初めて走ったのは京都だったと言われている。しかし資料を見る限り、京都のそれは「外国の自動車を改造した複数乗りの車」と言うのが正確だろう。だが広島市のものは、残されている写真で分かるように、日本で設計して作ったまさに「国産初のバス」だった。

日本最初の国産バスが走ったのは明治38(1905)年2月で、「広島駅」西隣の「横川駅」の近くだった。総ケヤキづくりのボディで重量は1屯(たむろ)、それにアメリカ製の18馬力のエンジンを乗せた、屋根付きの12人乗りの車である。車掌付きで、広島市西区横川町から安佐北区可部までの約14,5kmを結んだという(製作は日本車輌)。

そのバスが10年前に復活されたのだが、それは広島市が「JR横川駅前広場改良工事」を提示したことがきっかけだったという。横川商店街で理事長をしている村上正さんは、「せっかく駅前を綺麗にするなら、『日本のバス発祥の地』の記念碑を建立してほしいと地元で要請しました」と説明する。

それを受けて市も快諾し、実物大のモニュメントを作るとの回答を得た。そして市は、モニュメント作りのために広島市立大学芸術学部の吉田幸弘教授に、CGでの立体画像の作成を依頼。「モニュメント作りに魅了された吉田教授は、『バスが横川商店街を疾走する動画』まで作成されました」と村上さん。

○復元には4,500万円必要

「ところが、市から『モニュメントは1度見に来たらそれでおしまいなので、いっそ自分たちで実物通りに復元されたらいかがか。ただし資金的援助などは一切できない』という信じられない提案がされました」(村上さん)。そして吉田教授を中心に、商店街・市民有志などで「レトロバス復元の会」が結成された。

「とりあえず、地元の自動車メーカーであるマツダを訪ねて復元計画を相談しました」と村上さんは言う。しかし、車1台作るのに大体4,500万円必要と提示されて意気消沈。それでも、「日本初の国産バス復元」を旗印に計画を続行することになったという。

○市民や企業からの寄付で実現

そうした様々な出来事があった中、多くの広島市民、有力企業の協賛を得ながら、吉田教授の工房を拠点としてメンバーが集まって、半ば手弁当でバス復元に取り組んだという。「地元の鉄工所が鉄の部分を無性で作成してくれたりしたおかげで、何とかバスを復元させることができました」と村上さん。

復元したバスは、2004年3月28日に広島〜可部間14.5kmを記念走行した。「ただし、車検を取得していないため公道は走れません。道路でない河原などを走ったり、道路は皆で引っ張ったりしながら、約4時間かけて可部にたどり着くと、可部の街では黒山の人だかりで大歓迎を受けました」(村上さん)。

最終的に集められた資金は2,400〜2,500万円。最後に残った100万円は、地元にいた映画監督にボランティアで「横川サスペンス」というバスをテーマにした60分の映画を作成してもらって、これも話題になったとなった。10年たった現在も、「日本初の国産バス」は各種イベントに引っ張りだこだという。

(OFFICE-SANGA)