今週はこれを読め! SF編

 哲学的発想と実験表現で知られるロシア作家クルジジャノフスキイの時間SF。1929年ごろに執筆されたものの発表されず、ようやくペレストロイカ期の1989年に陽の目を見た。それこそ60年ものあいだ時間が止まっていたことになる。

 1929年といえばジャンルSFの勃興期で、アメリカでは〈アメージング〉〈サイエンス・ワンダー〉などの専門誌でガジェット・ストーリーが続々と発表されていたが、クルジジャノフスキイはそんな消息を知らずにいただろう。彼が参照できたのはH・G・ウエルズ『タイム・マシン』(1895)で、物語のなかでも言及がある。

 幼いころより時間に取り憑かれていたマクシミリアン・シュテレルは、モスクワの中学校で寮仲間から『タイム・マシン』を贈られる。一気呵成に読み通したシュッテルは憤然として友人にこう言い放つ。「これは気に入るとかそういったもんじゃないよ。これは、時間へ攻撃、時間を叩きのめして転覆するものだよ。(略)装置の外見を例にとってみようか。ここに書いてあるのは、なにかの電線、ばかげた自転車のサドル。ぼくのはまったくこれと似ていない」。

 そう、彼はこのときすでに自分のタイム・マシンを構想していたのだ。しかし、その作動方式はウエルズのものとは大きく異なる。いや、方式というよりも時間の概念や感覚そのものから別なのだ。もっとも、シュテレルは時間について饒舌に語るのだが想念と比喩が折り重なるばかりで、原理に到達するわけではない。むしろ彼自身が語りながら探っているようであり、タイム・マシンの設計もかなりの見切り発車に思われる。しかし、溢れでる思考の流れのなかに、ハッとするような着想が潜んでいる。

 たとえば、シュテレルは「過去というものの起源」を説く。過去は知覚Aを知覚Bに置換することの結果である。だが、Aの抵抗力を強めていけば、BはAの場所に置きかわるのではなく、となりに配置される。すなわち、ある音符は直前の音と水平的にも垂直的にも隣接しうる。前者の場合、音楽的(メロディアス)な時間とかかわることになるが、後者の場合、調和(ハーモニー)的なその形状とかかわることになる。ここであらわになるのは、均質に経過する時間ではなく、知覚と不可分の時間、意識と相即な時間である。

 ウエルズのタイム・マシンは画期的な装置であり、その発明によってSFの歴史が切り替わったといってもよいのだが、それは同時にクルジジャノフスキイが示したような「別な時間」の可能性を閉ざすものであった。いや、より正確に言えば、ウエルズにはそうした意図はなかったのだが、この装置の設計思想に心酔して執拗なまでにリサイクルした後継者たち(いうまでもないジャンルSFの担い手だ)のおかげで、「別な時間」はSFの意識の裏へ裏へと潜伏することになったのである。

 慌ててつけ加えておくと、それが必ずしもマイナスとだけ言えなくて、ガジェット・ストーリーはガジェット・ストーリーなりの価値や意義があるし、現代的な時間意識を反映してその総体(つまり時間SFというジャンル)がひとつの風変わりなオブジェとして珍重したいほどだ。しかし、もともとはフィクションのルールとして持ちこまれた機械的時間がいつのまにか自明化し、クルジジャノフスキイが示す時間のありようが奇抜な思いつきかナンセンスにしか映らないとしたら、それこそ本末転倒だろう。

 すみません、思わずアツくなってしまいました。べつにこの作品をダシにして凡百の時間SFを批判しようというのではない。じつは『未来の回想』が面白いのは、先述した知覚・意識の時間とジャンルSFが扱っているような外的時間とが、妙な配分で混淆してアマルガムになっているところなのだ。

 意識の時間はとりもなおさず文学の中心的主題であって、それこそプルーストもジョイスもこれ抜きでは語れないのだが、クルジジャノフスキイはほとんど無頓着な手つきで時間旅行のアイデアを持ちこんでしまう。この無茶な感じがすごくいい。なにしろ、シュテレルは本当にさまざまな部品を調達してタイム・マシン(時間切断機と呼ばれる)を組み立てしまうのだし、それを使って未来へと旅してまた戻ってくる。時間移行中、外側の世界が早まわりになる描写はウエルズばりだ。

 皮肉なのは、時間を操ろうとしているシュテレルが終始、世俗的な時間に翻弄されることだ。最初に取りかかったタイム・マシンは迫りくる兵役の期限と睨めっこしながらの開発となり、ついに頓挫。ドイツ軍の捕虜となっているときに父親が他界して、莫大な遺産によって新しいマシンの開発ができると思ったのもつかのま、捕虜の身柄が解け、慌てて公証人の元に駆けつけると「もう一カ月早かったらなんとかなったかも」と言われる始末。タイム・マシンを完成させ、未来から戻ってきて回想記を執筆するのだが、それとて周囲から筆が遅いと文句を言われる。ぐずぐずしているうちに、実時間の未来がどんどん回想記の未来に迫ってくる。

 そのうえ、彼は自分が見てきた未来が、生気がなくヴェールに包まれているように思えてならない。ここでまたひとつ時間の様相があきらかになる。つまり、回想のなかの未来(すでに自分が経験してしまった未来)は、これから先の未来とはたして等価だろうか。これはありふれたタイム・パラドックスではない。この謎を残してシュテレルはまた旅立っていく。しかし、どこへ?

(牧眞司)

『未来の回想』 著者:シギズムンド・クルジジャノフスキイ 出版社:松籟社 >>元の記事を見る

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