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1970年に初就航した日本航空の747型機(ジャンボ)は、2011年3月に退役するまでの41年間、同社の主力機として世界中を飛び続けた。

○ジャンボの「進化系」が続々就航

1983年、国際線を運航する航空会社が加盟するIATA(国際航空運送協会)の統計による国際線定期輸送実績において第1位になった日本航空は、名実ともに「世界のエアライン」の座についたが、大量輸送時代の代表的な旅客機であるジャンボが果たした役割はとてつもなく大きかった。

一方でこの頃、運輸省(現国土交通省)は日本の航空会社の枠組みを大きく転換する方針を打ち出す。国際線と国内幹線を日本航空が、国内幹線とローカル線を全日空が、国内ローカル路線を東亜国内航空(後の日本エアシステム)が運航するという枠組みを撤廃した。1986年に規制緩和が行われ、競争が促進される激動の時代に入っていった。

そうした中、日本航空は1987年に完全民営化を果たす(正確には再民営会社化)。1989年にコーポレート・アイデンティティ(CI)を一新し、その新しいロゴマークをはじめとする新デザインをまとった機体の第1号機となったのは、ボーイング747-200(ダッシュ200)型機だった。747-100(クラシックジャンボ)の進化系モデルである。

日本航空がこうした民営化及びCIを遂げたのは、ちょうど昭和から平成へと移行する頃であり、時代の変遷に呼応するかのようだった。

○乗客を楽しませてくれた「リゾッチャ」

クラシックジャンボの2階席を延長して乗客収容力を上げたボーイング747-300(ダッシュ300)は1983年に就航し、主に太平洋路線で活躍した。「乗った時からリゾート気分」のコンセプトで、ハワイやグアム・サイパン便に投入された「リゾート・エクスプレス(愛称リゾッチャ)」に使われたのがこのダッシュ300だった。カラフルで楽しい塗装がされた機体は、1994年から2002年までの長きに渡って南の楽園への旅気分を盛り上げ、見る人の目も楽しませてくれた。

そして、1990年には航空機に劇的な進化をもたらす旅客機が日本航空に納入された。ボーイング747-400(ダッシュ400)型機である。ダッシュ400は「ハイテクジャンボ」と呼ばれ、エレクトロニクス技術と自動化システムによる運航を実現。航空機関士が乗務せずに安全運航が可能になったことで、コクピットクルーは2名になった。

また、低燃費ながらハイパワーを有するエンジンが取り付けられるなど、その後の旅客機開発に不可欠なものとなった燃料効率を追求した「次世代機」でもあった。日本航空では「スカイクルーザー」の愛称が付けられ、国際線の花形旅客機として2011年の退役まで活躍した。

(緒方信一郎)