前回、ロンドンの中心部にある金融街シティが中世から続く“自治権”を有し、「国家のなかのもうひとつの国家」になっていることを紹介した。

[参考記事]
●金融立国イギリスの中心地・シティがウォール街に対抗できる理由

 同様にヨーロッパには、複雑な歴史的経緯のなかで「主権」や「自治権」という法外な特権を手にした小国や地域がいくつもあり、それらの多くがタックスヘイヴンとなっている。シティと並ぶヨーロッパの代表的な「国内タックスヘイヴン」がバチカンだ。

バチカンが教皇領を放棄した見返りに得た1000億円

 バチカンはサン・ピエトロ大聖堂を中心とするわずか0.44平方キロメートルの敷地に800人ほどの「国民」が暮らす世界最小の主権国家だが、全世界で12億人(世界人口の17.5%)といわれるカトリック信者への絶大な権威を有している。バチカン政府であるローマ教皇庁はカトリックの最高位である枢機卿団によって統治され、その代表がローマ教皇(法王)だ。

 バチカンの起源は4世紀にこの地が聖ペテロの墓所とされ、教会が建立されたことだとされている。その後、1626年に現在のサン・ピエトロ大聖堂が完成すると、ローマ教皇の座所としてカトリックの総本山となった。

 ローマ教皇は19世紀半ばまでイタリア中部に広大な教皇領を保有していたが、フランス革命とナポレオン戦争に端を発した国民国家の建設運動のなか、1870年にバチカン以外の教皇領がイタリア王国によって接収され、ローマ教皇庁はイタリア政府との関係を断絶した。

 この難題を解決したのがファシスト党のムッソリーニで、1929年のラテラノ条約によって、教皇領の権利放棄と引き換えにバチカンの「主権国家」としての地位とイタリアに対する免税特権を保証した。このときムッソリーニは、バチカン市国以外の領地を放棄する代償として7億5000万リラ、現在の時価に換算して約1000億円を支払うことに合意している。この補償金が、その後の“バチカン株式会社”の資本金となった。

 当時の教皇ピオ11世は財産管理局を新設し、ベルナルディーノ・ノガーラというユダヤ人にその管理を任せた。ノガーラ家はユダヤ教を捨ててカトリックに改宗しており、兄は神父として教皇に仕えていた。

 ノガーラの投資家としての手腕には目を見張るものがあった。大株主となった企業には教皇の親族を経営陣に送り込み、損害を被りそうになるとムッソリーニに高値で買い取らせ、第二次世界大戦でイタリアの敗北を予測するや資産を金塊に替えて巨額の利益を得た。

 戦後はロスチャイルド、クレディ・スイス、JPモルガン、チェースマンハッタンなどの金融機関を通じて世界市場に投資し、ゼネラルモーターズ、シェル、ガルフ石油、IBMなどの大株主となった。また不動産投資にも積極的で、シャンゼリゼの1ブロックを所有し、世界一の高さを誇ったモントリオールの証券取引所タワーやワシントンの名門ウォーターゲートホテルを購入した。

 1942年、バチカンは宗務委員会を宗教事業協会に改組し、これが後に「バチカン銀行」と呼ばれるようになる。

 1958年にノガーラが死んだとき、バチカンは少なく見積もっても10億ドルの資産を保有し、そこから毎年4000万ドルの利益を得ていた。ある枢機卿は、「イエス・キリストの次にカトリック教会に起こった大事件はノガーラを得たことだ」とまで述べた。

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