アイススレッジホッケーのソチパラリンピック最終予選大会(イタリア・トリノ)で、日本代表は通算成績1勝4敗で出場権を逃した。

 アイススレッジホッケーは冬季パラリンピックの人気種目だ。日本は1998年のパラリンピック長野大会から4大会連続出場している。さらに、2010年バンクーバー大会では優勝候補のカナダを準決勝で破り、悲願の銀メダルを獲得。その流れから、ソチでは金メダル獲得を目標に掲げていたが、残念ながらその勇姿を見ることはできなくなった。

 ソチパラリンピックの参加国は「8」。そのうち「5」枠が今年4月のAプール世界選手権の結果で決まっている。今大会には、その世界選手権6位のイタリアをはじめ、韓国(7位)、スウェーデン(8位)、Bプール世界選手権優勝のドイツ、日本(2位)、イギリス(3位)の6カ国が出場し、残りの「3」枠を争った。

 試合は総当たりで行なわれ、自力で出場権を獲得できるボーダーラインは「3勝」。だが、日本は初戦の韓国戦に0−1で敗れると、続くイタリア戦も落として崖っぷちに。3戦目のイギリス戦では大量8得点で初白星を飾ったものの、ドイツとの試合では、同点のまま迎えた試合終了7秒前に痛恨の失点を許してしまい、敗戦を喫した。結局、出場権は韓国とイタリア、スウェーデンの3チームが獲得。日本のソチへの道のりは、トリノの地で終わった。

 4敗したすべての試合が、「1点差」という悔しい敗戦だった。あと一歩、あと1ゴール......。そのわずかな差が、そのまま"世界"との差として表れた。司令塔としてチームを引っ張った高橋和廣(FW)は試合後、「拮抗した試合こそ踏ん張らなければ。そこが日本のホッケー界の今後を左右することになる」と唇をかんだ。

 アイススレッジホッケーは1994年のリレハンメルパラリンピックから正式種目として採用された。98年の長野大会に向けて日本チームが発足した当時は、"まだ新しいスポーツ"として発展途上にある印象だったが、2006年トリノ大会を前に変化が表れた。用具の開発が進むと同時に、各国がいわゆる健常者のアイスホッケーの戦略やプレースタイルを取り入れ、競技性が大きく向上したのだ。

 世界の変化に日本が対応するためには、国内合宿だけではなく、とにかく実践を積む必要があった。そこで、04年に就任した中北浩仁監督が手腕を発揮。英語力と営業マンとして培った交渉力で強豪チームとの招待試合や遠征の交渉をし、またネックだった渡航費などの費用は、自身が勤務する日立製作所とグループ会社からの支援を取り付けることで、捻出した。

 ノルウェーとの試合では、体格に勝る海外勢の当たりの強さを嫌というほど体験し、アメリカからはスピードの重要性を、カナダからはホッケーの精神を学んだ。その大事な経験をもとにして戦略を組み立て、心技共に充実したところで臨んだのが、銀メダルを獲得したバンクーバー大会だったのだ。

 世界のアイススレッジホッケーはこのバンクーバー後、再び、変化の時を迎えている。「戦い方が明らかに変わってきている」とは、中北浩仁監督。「どの国も、軒並みフィジカルの強化を図り、オフェンスのタフさをこれまで以上に身につけてきている」というのだ。「これまで(技術もあり小回りが利くタイプの)日本選手は相手をかわしてフェンス際をすり抜けることもできたが、それが通用しなくなった。(豊富な運動量は日本の自慢だったが)基礎体力(のトレーニング方法も)も見直さなければならない」との中北監督の言葉に危機感が滲んでいた。

 現在、世界ランキング1位のカナダのナショナルチームは、ホッケーカナダの傘下にあり、練習環境も選手層も随一だ。アメリカも同様で、また2018年のピョンチャンパラリンピックのホスト国となる韓国も、代表は半実業団化しており、週に5回はリンクに乗っているという。一方日本は、そもそもアイスリンクの数が少なく、選手のほとんどが仕事をしながら競技を続けている状況だ。こうしたライバル国の環境はうらやましく思えるが、同じような環境を短期間で整えるのは現実的には厳しい。

 では、再起するには何が必要なのか。

「同じ釜の飯を食った仲間」同士、本気でポジションを競い合う競争原理を働かせるためには、新しい流れが必要だろう。そして、相手の胸を借りるつもりで海外勢との実戦を増やし、いちから心身を鍛え、本当のプライドをかけた取り組みが続けば、長年の課題である新人選手の発掘にも光明が差すのではないだろうか。

 国内での競技人口はわずか50人程度だ。ソチパラリンピックの出場を逃したことで、メディアの露出は減り、ますます競技の認知度は低下してしまう。選手が"再び強くなりたい"と努力する一方で、協会や周りでサポートする人たちが、よりよい環境をどれだけ作っていけるかも課題になる。

 日本はソチパラリンピックには出場できないが、今年3月のBプール世界選手権で2位に入ったため、次回の2015年の世界選手権はAプールに返り咲くことになっている。そこで、今一度、日本の存在感を示してもらいたい。

 今大会どん底を味わったアイススレッジホッケー日本代表が、再びパラリンピックの舞台で輝く日まで、見守っていくつもりだ。

荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu