今週はこれを読め! ミステリー編

 深緑野分『オーブランの少女』の表題作はこのような一文で始まる。

 ----オーブランほど美しい庭は見たことがない。

 この文章から私は「ゆうべ、またマンダレーに行った夢を見た」で始まるとある小説を連想した。その小説は冒頭から優美な筆致で読者を魅了し、とある邸の中へと招き入れていく。同書は長篇で『オーブランの少女』は短篇集である。本の作りとしては似てはいないのだが、両者の間には共通点がある。文章の技巧を尽くして、その力で読者を別世界へと誘おうとする姿勢である。

 マンダレー館はダフネ・デュ=モーリア作『レベッカ』(新潮文庫)の主人公にとって、目を背けることの難しい魔の存在であった。彼女は館の持つ存在感に圧倒され、押しつぶされそうになるのである。それと同様に『オーブランの少女』は、読者の心を脅かし、時には傷つけ、あるいは凍りつかせようとする。実に剣呑な構造物だ。美しいが、その内奥に毒を抱えている。

 表題作は、ある殺人事件から始まる。事件の現場となったのは、閉ざされた扉の向こうにある見捨てられた庭園だった。立ち入り禁止の庭園というモチーフはバーネット『秘密の花園』を連想させるが、それだけではなく旧い記憶を刺激することどもをいくつも配置しながら、作者は深奥に読者を導いていくのである。

 小説の語り手は殺人事件の関係者が遺した手記を発見し、その中に綴られた物語を読者の前に開陳し始める。このように「語られた物語」という性質を持つ短篇が、この作品集には複数収められている。文章として定着した物語は、それ自体が生命をはらみ、一個の世界となるということを作者は強く意識しているのだ。

 その手記で主役を務めるのは、ヒナギク、すなわちマルグリットというあだ名を持つ少女だ。彼女には深刻な貧血症の持病があり、親元を離れてオーブランと呼ばれる施設へとやってきた。そこはマルグリットと同じような年代の少女たちが暮らすサナトリウムであり、彼女たちは病気が完治するまで外に出ずに暮らすことを強制されていた。家に手紙を出すことも禁止され、厳しいルールを守って暮らさなければならない異様さは、マルグリットの心中にある疑念を芽生えさせる。やがて彼女は、ワスレナグサ、すなわちミオゾティスと名乗る少女と親友になった。そのミオゾティスの口から語れられるオーブランの真実は、マルグリットの想像を遙かに上回るものだったのである。

 収録された5篇の小説にはどれも少女が重要な役回りで登場する。まだ不完全な存在である少女たちを主要な登場人物とした狙いは、不可逆の時間の流れを描き出すことだろう。「オーブランの少女」は、ある人物のしくじりから調和を保っていた世界に亀裂が入り、見る間に醜く崩れ去っていく物語である。その無慈悲な壊れぶりに、まずは注目してもらいたい。さらに、小説を最後まで読んでから最初に戻ると、崩壊は起こるべくして起きたものであることが理解できるようになる。ミステリー小説ならではの伏線の技巧が、絶妙な用いられ方をしているのである。登場人物の少女たちは、審判の場に立たされ、自身の運命について聞かされる役目を担わされている。可憐な足首につながれた重石の大きさ、残酷さに読者は目を奪われるはずだ。

 また、本書の中では数々の裏切りが描かれる。相手を陥れる詐欺師のような裏切り、運命に迫られてやむなくする裏切り、そして、自身でも気づかないままに行ってしまう裏切りまで、多種多彩である。人間がいかに小さな精神の牢獄に押し込められた存在であるかを、作者は裏切りのさまざまな形を書くことでさらけ出そうとしている。特筆すべきは掉尾を飾る短篇「氷の皇国」で、極北地方の厳しい自然が、愚かな人間たちと対比をなす形で描かれている。有名なリドル・ストーリー「女か虎か」を連想するように残酷で、だからこそ興奮させられる小説である。

 深緑野分は本書が最初の著書である。2010年に表題作で第7回ミステリーズ!新人賞佳作を受賞、以降今日まで短篇を書き溜めながら研鑽を重ねてきた。毒の味を知る作家の鮮烈なるデビューである。ミステリー界に危険分子到来。

(杉江松恋)



『オーブランの少女 (ミステリ・フロンティア)』
 著者:深緑 野分
 出版社:東京創元社
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