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我々は日常生活でどれだけの水を使っているだろうか。調理、洗顔、入浴、トイレ……。その過程で多くの生活排水を出しているが、「その先の世界」をあまり気にとめることはない。今回は、ふだん目に見えない下水の歴史を学べる「ふれあい下水道館」を紹介する。

○最深部は地下25m。下へ下へと潜る博物館

東京都の国分寺市から東村山市を結ぶ西武国分寺線。小平市の鷹の台駅で下車し、小平中央公園にそって約10分ほどすると、きれいなれんが造りのふれあい下水道館が見えてくる。

地上部分は2階、地下部分は5階と、博物館としては珍しく地下へ下っていく。そして、地下へと掘り起こしていった形跡が、館内に残っているのが特徴だ。土の層が変わっていく様子がはっきりとわかり、この土の部分を写真に収めに来る学生もいるという。

○小平市の汚水用下水の完全普及を記念した博物館

下水道とは、地面に降り注いだ「雨水」と、トイレからのし尿や調理・洗濯で生じる生活排水などを含む「汚水」を集めて処理し、自然界に戻すための施設だ。

下水管は雨水と汚水を集めて流す合流式と、汚水・雨水を別々に流す分流式がある。下水は「汚水ます」「雨水ます」から下水管に集められる。途中にはマンホールが設けられており、そこで別の下水管も集積し、最終的に処理場へと運ばれる。また、起伏のある場所では「ポンプ場」と呼ばれる施設を通じて下水をくみ上げ、処理場に送る。処理場で処理を施し、その処理した水を川や海へ流して資源として再利用する仕組みとなっている。

小平市では1970年(昭和45年)から公共下水道の整備に着手し、1990年に市内の汚水用の下水道普及率100%を達成した。だが、下水道建設での起債(借金)は次代へと引き継がれることになる。そのため、「下水道管を直接見ることができる施設を造り、下水の実態を知ってもらうことで、この公共事業の意義を知ってもらう必要があるのではないか」といった趣旨の意見が当時は多く寄せられた。

そこで小平市の所管として、1995年に同館が設立された。江戸時代の下水道から明治、昭和の近代的な下水道までの歴史を振り返りながら、「見える下水道」というコンセプトを実現している。

小平市環境部下水道課下水道管理センターの主査で、同館の館長も務める加藤千秋さんは「今では年間で1万6,000人ほどの方が来館されます。昨年には社会科見学の一環として、40以上の小学校の生徒さんもいらっしゃいました。下水管に自由に入れる見学施設は、国内でここだけです」と話す。

○江戸時代から脈々と続く下水道の歴史

下水道は江戸時代にはその存在が確認されており、明治、大正、昭和とその姿を徐々に変えてきた。

江戸の下水道は、現在のどぶが該当し、し尿を含まない下水を排除するだけのものだった。し尿は汲(く)み取られ、近郊の農村で肥料として活用されていた。江戸の家庭では、井戸から汲(く)んできた水を生活用水として用い、台所からの排水は竹筒などで家の外へ排出、路地のどぶへと流れていった。どぶの幅は20cm前後で、石や板でふたがされていたという。また、このどぶには雨水も集まってきていた。

路地の所々には「枡」(ます)と呼ばれる、複数のどぶを1箇所に集める場所が設けられ、町境から道路を横切って隣町のどぶにつながっていた。江戸の町と町の境には90〜180cmほどのどぶがあり、武家の屋敷地の境にもどぶがあった。このようにして、町から町へとどぶはつながり、最終的には近くの堀や川へと排出されたという。

江戸の町は堀や川が多く流れており、それらが下水道幹線の役目を果たしていた。ただ、江戸の下水道(どぶ)は雨水の排除に主眼を置かれており、家庭からの生活排水は、米のとぎ汁なども掃除に使われるなどの工夫もあり、ごく少量だったという。そのため、下水が川に流れても、それほど環境に悪影響を与えなかったと推測されている。

○公衆衛生が発達し、初の下水道作りに着手した明治時代

明治時代になると、文明開化の幕開けとともに東京は急速に変化し、都市環境は悪化。また、開国に伴うコレラ菌の侵入でコレラやチフスなどの伝染病が蔓(まん)延するようになった。時を同じくして、1871年(明治4年)より岩倉具視(ともみ)を中心とする使節団が渡欧。随員の一人であった長与専斉は、欧米(おうべい)の医療行政は上下水道などの衛生施設が整備されていることに注目、公衆衛生の思想を胸に帰国の途に就いた。

それから後の1884年(明治17年)。汚水と雨水の排除、さらにはし尿の取り扱いまで含め、目的を明確化した本格的な下水道として、神田下水の建設が始まった。資金不足で1886年(明治19年)に1.4kmが完成したところで中止となったが、これを前後として公衆衛生の観念は徐々に日本でも浸透。そして1900年(明治33年)には、「塵芥汚物掃除法」と「下水道法」(旧下水道法)が成立した。この法律では、社会全体の公衆衛生を維持するため、住民は下水道を使用するという義務を負うことが明記された。現代にも通じる、下水道文化誕生の瞬間だ。

○新たな下水道法が制定された昭和時代

大正を経て昭和に入ると、下水の処理技術が進み、日本でもトイレの水を下水道に流せるようになった。1958年(昭和33年)4月には「新下水道法」が制定され、「都市の健全な発達と公衆衛生の向上に寄与する」施設として、下水道の役割を明文化。「下水道の設置、管理は原則として市町村が行う」などが定められた。1970年(昭和45年)に同法は改正され、「公共用水路の水質の保全」という目的が付け加えられ、今日に至る。

○下水道管の中にはロボットが走っている!

同館では下水道の歴史のほかにも、 下水道にまつわる様々な雑学を学べる。その一つが、下水道内を行き来する光ファイバーケーブル敷設ロボットだ。

東京都区部には、約1万5,000kmの下水道管渠(きょ)が設置されているが、そのうちの8割以上は口径が小さいため、人が入って作業をするのは不可能。都市部における通信ネットワークを形成するためには、小口径の下水道管渠(きょ)にも光ファイバーケーブルを敷設しなければならないため、小口径専用の敷設ロボットが開発された。我々がふだんインターネットを快適に使えているのは、下水道管渠(きょ)と専用ロボットのおかげによるところが多分にあるといってもいいのかもしれない。

○下水道のにおいは……入浴剤のよう?

そして、同館の目玉は地下5階の「ふれあい体験室」だ。地上から25m下った部屋の奥にある通路から続くデッキでは、内径4.5mもある下水道の管内を直(じか)に見ることができる。

実際に入ってみると、まずはその独特の蒸し暑さに驚く。下水道管内の気温は、基本的に21℃〜24℃で湿度はほぼ100%だという。直前に25〜30ミリ程の雨が降ると、上流の下水管から大量の水が流れ込んできて、デッキ部分まで水かさが増すため、デッキに出ることは禁じられている。

下水管内のにおいはというと、あまり気にならない。どことなく、入浴剤入りのお風呂のような感じがする。

「今日は天気もよく、午前の10時半という時間帯ですから、洗濯などで使用した水が多く流れてきているかもしれません。だから、そう感じるのではないでしょうか。直前に雨が降って下水管内に雨水が大量に流れ込んでくると、下水のにおいはかなり低減されます。においの感じ方は人それぞれですが、結構覚悟されてきた方は『意外とにおわないですね』とおっしゃいますし、『そんなににおわないだろう』と考えられていた方は、『きつかった』とおっしゃいます」と加藤館長は笑う。

他にも小平の水環境の歴史や、下水処理における一連の工程、7世紀末の「古代のトイレ」に関する遺跡などを学ぶことができる。

○“地面の下の力持ち”を見えることができる空間

環境問題が叫ばれている昨今において、公衆衛星の重要性を学ぶことができる同館の存在意義はますます高まっている。

館内には、下水を通じて油を廃棄し続けたことによって、下水道管が詰まってしまった例の写真なども展示されている。油の不適切な処理は環境に悪影響を及ぼし、自らの首をも絞める結果になることが明示されており、来館者の多くからは「勉強になった」という声が多く聞かれるという。

だが、同館の最も重要な役割は、通常は見ることができない下水道の「可視化」にあると、加藤館長は話す。

「下水道のにおいや下水が流れているところは、ふだん知ることはできないです。それを見て、体験できるというのが、一番の魅力だと思います。そして、何気なく使っている生活排水などの処理工程やその処理にお金がかかるということも、あわせて知ってもらえればと思っています」(加藤館長)

下水道がなくなれば、現在の我々の健全な生活と高い公衆衛生を維持することは難しくなる。地面の下を脈々と走る下水道は、“縁の下の力持ち”ならぬ“地面の下の力持ち”とも呼べる、不可欠な存在。その存在に感謝すべく、小平にまで足を運ぶのも一興だろう。

「ふれあい下水道館」
開館時間:10〜16時
休館日:月曜日(月曜が休・祝日の場合は直近の平日)と年末年始(12月27日〜1月5日)
料金:無料
住所:東京都小平市上水本町1-25-31