みのもんたがテレビ出演を自粛している姿を見て、ラモス瑠偉は監督責任と日本社会の問題を考える】
 
みのもんたさんが、次男の窃盗容疑事件に関連して叩かれている。正直に言えば、僕はこのバッシングが不思議でならないよ。
 
子どもとはいえ、もう31歳。とっくに成人しているし、結婚して家庭も別に持っている。しかもみのさんは事件と全く関係ない。それなのに、どうして責任を取って番組出演を自粛しなくちゃいけないんだ。
 
親の「監督」責任って、こんな年齢まで及ぶのだろうか。この問題を考えていると、監督の言うとおりに選手がプレーできないのに、監督が悪いことになるという状況を思い出しちゃうよ。
 
僕の感覚から言えば、監督の要求したプレーができないのは選手の責任。監督がどんな指示を出しているのか、毎日練習を見に来ている記者はわかっているはず。ところが、記者は選手から嫌われたくないもんだから監督のせいにする。選手が「こんな戦術ではダメだ」というと、監督が悪いことになるんだ。

その選手がどれくらい戦術的な動きができているかどうか、ちゃんと判断しろって言いたいよ。僕も日本代表だったころ、オフト監督に反発したことがあった。でも柱谷哲二から「まず監督の言うとおりやってみよう」と言われて、戦術どおりの動きをしたんだ。

それに、もしも戦術が合わないと選手が思うのなら、ちゃんと監督と話をしなきゃ。それがチームのためのはず。ところが、監督に話をすると試合から外されちゃうんじゃないかと思って黙ってる。そして記者に対してだけ文句を言うヤツがいるんだよ。

こうやって書いていると、どうもサッカーチームの中だけの出来事じゃない気がしてきたよ。いろいろな責任を人に押しつけるというのは日本社会によくあることかもしれない。みのさんがいないテレビを見ながら、そんなことを考えさせられるね。