10月11日、小林可夢偉の登場に沸く日本GPが開催された鈴鹿サーキットのパドックに、ザウバーのウェアに身を包んだもうひとりの日本人ドライバーの姿があった。

 彼の名は佐藤公哉(きみや)、24歳。初めて訪れるF1のパドックに、やや緊張の面持ちだった。

 この男、とにかく謙虚である。

 報道陣にカメラを向けられても、笑顔が硬い。「サングラスを外して下さい」と言われると「あっ、すいません!」と言ってそそくさと外す。パドックの中でも「まだアウェー感がありますね」と率直に話す。いわゆる大物オーラもないから、観客エリアを歩いていてもファンに囲まれることはない。

 ザウバーのリザーブドライバーとしてノミネートされ、鈴鹿にやって来た公哉が、金曜日のフリー走行に出走する可能性もあった。だが、結局それは見送りとなり、公哉は「正直、走らないことになってホッとしています」と言って苦笑いした。

「母国でF1マシンに乗れたら夢のようですけど、遅かったらカッコ悪いですし(苦笑)、まだまだみなさんにお見せできないパフォーマンスのレベルだと思っています。初めてのフリー走行が鈴鹿というのは危ないですよね。F1は(走った経験のある)F3のマシンよりラップタイムが1周30秒も40秒も速いですから」

 だがこの男、コクピットに座ると凄い。

 2010年まで全日本F3で経験を積み、2011年に日本を飛び出してドイツに渡ると、ヨーロッパで最も競争の激しいユーロF3に参戦。初年度から1勝を挙げ、2012年は4勝を挙げてランキング3位。今季参戦したAUTO GPでは、550馬力のマシンを操って5勝。最終戦までチャンピオン争いを繰り広げ2位となった。ヨーロッパ特有の激しいバトルや、コース外の荒波にも揉まれて、彼は強さを身につけた。レースに強く、サイドバイサイドでマシン同士を接触させながらでも引かず、そのまま相手を抜き去る度胸もある。

 7月にはシルバーストンでザウバーの最新型F1マシンをテストし、400km近く走り込んだ。

 ここで、ザウバーの技術陣から高い評価を得た。テストで彼の走りを目の当たりにしたチーフエンジニアのトム・マクロウは、公哉のことを次のように評価している。

「キミヤは最初からとても落ち着いていて、感心したよ。言語能力も申し分ない。F1特有の高速コーナーはまだ攻めきれていないけど、それは初体験なのだから当然だ。それよりも驚いたのは、中低速コーナーしかないこのサーキットの前半部分を、エースのニコ・ヒュルケンベルグとたったの0.2秒差で走ってしまったことだ。あと1日走らせてやりたいね。そうすれば彼は大きく成長できるよ」

 そのテスト走行の実績が認められて、公哉はF1参戦に必要なスーパーライセンスを取得し、鈴鹿にやって来た。資格の上では、すでにF1の公式セッションに参加することが許されているのだ。

 だが、公哉本人はまだまだF1マシンをものにできたとは感じていないようだ。それは、自分のドライビングでマシンを壊してチームに迷惑をかけることは避けたいという、慎重さゆえだった。

「F1はまったく次元が違うクルマなので、7月のテストはビックリしただけで1日が終わった。低中速コーナーは問題なく走れる。でも高速コーナーはダウンフォースを信じてアクセルを踏んだまま走ることが難しい。高速コーナーで限界を超えてしまうと大きくクラッシュしてしまいますからね。徐々にフィーリングを詰めているうちに、1日が終わってしまったという感じです」

 そんな段階だから、鈴鹿で無理をしてフリー走行に参加することを望んでいなかった。身体的にも、F1の激しい横G(重力)に耐えられるだけの首の筋力が「まだできていない」と言う。ダウンフォースの少ないAUTO GPのマシンなら、ステアリングを切ってややあってからマシンが曲がっていく。しかしF1は、ステアリングを切ったその瞬間に向きが変わり、「思いっきりひっぱたかれたような衝撃」が首にくるのだという。

「今の筋力のまま走ったら鈴鹿の1コーナーで首が取れかかっていたかもしれません(苦笑)」

 公哉は冗談めかしてそう言ったが、F1ドライバー特有の太い首は、F1マシンで走ることでしか鍛えることができない。首の太さはすなわち、F1マシンをドライブした経験の量で決まるのだ。

「F1は速度に対して生じる横Gが凄まじいですね。初めてピレリのミディアムタイヤの新品を履いた時は、最初の一瞬のグリップが想像を絶するくらいでビックリしましたし、首もしんどかったです」

 日本GPの週末で、公哉はザウバーのピットガレージからチームとともに全セッションの行方を見守り、各セッションの技術ミーティングにも参加。F1チームの戦いの現場がどんなものかを学んだ。F3やAUTO GPより高度なレースの世界を目の当たりにして、公哉は感心しきりだった。

「ピットガレージの中でチームの無線を聞くことも、良い経験になりました。基本的に話している内容はAUTO GPと大差はなくて、どこが滑るとか、どこでもっと曲がるようにしたいとか、そういう話でした。ただ、話している内容がかなり細かい。それにフットワークが軽いことに驚きました。走行中でも『データ上でこうなっているからこう変えよう』と、ドライバーと無線で話してセッション中にどんどんセッティングを変えていく。それが世界のトップカテゴリーの仕事の早さなんだなと感じました」

 日本GPが終わると、公哉はすぐにヨーロッパに戻って10月18日にイタリアのバイラーノでザウバーの直線走行テストを担当した。レギュレーションで許される範囲内の、直線路でのテスト走行とはいえ、2度目のF1マシンドライブ。チームが公哉の技術を評価しているからこそのオファーだった。

「またF1マシンに乗るわけですからすごくハッピー。1回じゃなく何回も乗りたい。こうやってザウバーから声を掛けてもらえるのは嬉しいです。次はカーブがあるところで乗れたらもっと嬉しいですね(笑)」

 とはいえ、公哉も彼のマネジメントチームも焦ってはいない。来季のターゲットは、F1のレギュラードライバーのシートではなく、F1の世界で経験を積むこと。着実に準備を整えることを最優先に考えている。まずは、金曜フリー走行でのF1マシンドライブが現実的な目標だ。

「チャンスを頂ければ嬉しいです。もちろん、シーズンを通して走れるなら全部走りたい。ただ、フルマラソンで言うとまだ折り返し地点で、(シート獲得という)ゴールまであと25kmくらい残っていると思います。タイミングも重要ですし、焦らずいきたいですね」

 どれだけ有能なドライバーでも多額の持参金が必要となる今のF1だけに、公哉のようにF1シート獲得まで近づきつつあるドライバーに対して、日本企業からの支援も期待したいところだ。そのバックアップが多ければ多いほど、今いる折り返し地点からの道のりは平坦になる。

「鈴鹿でF1チームに帯同して、夢のひとつがかなったという感じです。技術面だけでなく精神的な面でも学ぶことはありましたし、トップドライバーを間近に見たことで到達すべきところが見えた。F1で長くキャリアを重ねていけるようにしたいと思っています」

 初めてのグランプリ週末を終えた公哉は、テストでは決して知ることのできなかったF1の姿を肌身で体感し、今まで"憧れの世界"でしかなかったF1を"現実的な目標"として見定めたようだ。

米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki