はやし・かいぞう/映画監督、京都造形芸術大学芸術学部映画学科教授、学科長。1957年京都府生まれ。86年、モノクロ無声映画『夢みるように眠りたい』で映画監督デビュー。『我が人生最悪の時』『遥かな時代の階段を』『罠』と、『私立探偵濱マイク』シリーズが人気を博す。映画、ネットシネマ、コミックと多様なメディア化された『探偵事務所5』プロジェクトを監修。2010年『大阪ラブ&ソウル-この国で生きること』(NHKドラマ・平成22年度文化庁芸術祭参加作品)の脚本を手がけ放送人グランプリ2011のグランプリ受賞。他に『二十世紀少年読本』『アジアン・ビート』などがある。

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謎の映画と謳っている『彌勒 MIROKU』。これまで誰も手をつけることができなかった稲垣足穂の小説を、林海象監督と京都造形芸術大学の生徒たちが中心になって映画化。下鴨神社で奉納上映をはじめ、京都文化博物館別館ホール、青森・津軽伝承工芸館での生演奏上映など、異色なスタイルでの上映を行う一風変わった映画なのだ。
「五十六億七千万年後に、人類全てを救済するもの」と言われる彌勒は、夢見る少年と地獄を生きる大人に何をもたらしてくれるのか。

───映画『彌勒 MIROKU』は、林海象監督が京都造形芸術大学の生徒たちと作った映画です。7月に下鴨神社での奉納上映(野外)という誰もやったことのない上映形態から公開がはじまりました。
林 ぼくは下鴨神社の氏子なんですよ。あそこのすぐ近所に住んでいまして。下鴨神社が好きだし、『彌勒』に出て来る、三日月や仮面の造型物を下鴨神社につとめている方の奥さんが作ったというご縁もあって、異例の奉納上映ができたと思います。神社でも撮影しているんですよ。
───神社で撮影したのはどのシーンですか?
林 彌勒が出てきてバーッと光るところなんですが、光っていてよくわからないんです(笑)。下鴨神社の糺の森で撮っているんですよ。2回見るとわかりますので、見つけてください(笑)。
───京都造形大学の生徒たちと作ったということは、京都ロケ地が多いのでしょうね。
林 ぼくは京都生まれですけど、19歳のときに出ていきまして、京都に戻ってきて7年。ほとんど京都の土地を知らないのですが、7年間、ちょっとずつロケハンを重ねたのと、学生たちがいろいろないい場所を見つけてきました。特に花山天文台はよかったですね。
───セットかと思いました。
林 ぼくも、あんなに天文台らしい天文台はないと思って、最初はセットで作ろうという話をしていましたが、学生がみつけてきましてね。それもまた貸していただけるということになって。ラッキーがいっぱい重なりましたね。
───川の中に建物がある場所はCGですか?
林 あれも本物です。ただあれだけ熊野なんです。七色ダムっていうところで。十何年前からいつか使いたいと思っていて、今回やっと使うことができました。『彌勒』は CGゼロですよ。
───蕾から花が咲く場面なども。
林 あれは合成です。特殊造形で、花びらをひっぱるとだんだん開いていくように作ったものです。飛行機も学生が作ったファルマン2型を飛ばして、それを単純合成しています。『彌勒』はすべてが人力なんです。
───学生にとっては勉強になりますね。
林 学生の中に、模型を作ることができる子やいろんな能力をもった子がいたことが幸いしました。といっても、彼らはすべてが優秀というわけではなく、一点、すごいところがある。それぞれのいいところだけを集めて、映画を作ったんです。
───林監督の見極める力、育てる力ですね。
林 学校の授業で長く一緒にいますし、映画を作っていく中で気付くこともあるんですよね。映画はやっぱりいろんな人の能力を発見し、能力を開かせます。
───監督の映画『夢見るように眠りたい』でデビューした佐野史郎さん、『私立探偵濱マイク』シリーズでブレイクした永瀬正敏さんなど、未知の才能を見いだし育てるイメージがあります。
林 いやいや、それぞれ才能があって、たまたま一緒に仕事ができたってことですよ。今回の少年隊の5人(土村芳、大西礼芳、土居志央梨、水本佳奈子、中里宏美)は大きく花開いていってほしいです。彼女たちは造形大の俳優コースの生徒たちです。たぶん、彼女たちはこれから注目されるであろうと、プロの監督の目として思います。
───皆、美少女だし、芝居がしっかりしています。女性に少年を演じさせるのはなぜですか?
林 『彌勒』に出て来る少年は旧制中学だから昔の高校生です。実際の男って15、6歳になると、たいてい既に男くさいんですよ。そうでない子を探すと子供になってしまう。では、女の子でできないかと、テスト撮影などをやってみたんです。その結果、女の子のほうがいいなと思ったのと、稲垣足穂が「少年とは水気を抜いた美少女である」と言っていて、確かにそうだなと。あとやっぱり声ですよね。女の子の声のほうが少年っぽいんです。台詞も文語体で、しゃべるには難物だなと思ったのですが、女の子たちに男の格好をしてしゃべってもらったら、自然に聞けたんです。そういう効果もあって女の子にしましたね。
───知的に聴こえました。現代の言葉とは全く違う言葉に彼女たちはすんなり言えたのですか。
林 彼女たちとは、撮影の前に、芝居を何本かやっていて、とにかく台詞を覚えて、しゃべることを徹底してやらせているんです。意味がわからない場合は教えるから、台詞に疑問をもつなと言ってあるんです。
───そもそも、稲垣足穂の『彌勒』を映画に撮ろうと思われたのはずいぶん前だそうですね。
林 まだ映画監督になっていない頃です。実際、原作権をもらいにいったのは、10年くらい前です。映画監督になって、監督としての訓練をだいぶ積んだので、ひょっとしたら今なら撮れるかもしれないと思ったんですね。ただ、稲垣足穂さんの娘さんにお会いして、原作権をいただいて、すぐ脚本にしたものの、なかなか撮影までこぎつけなかったんです。結果的に、大学生たちと一緒にやることで成立した気がします。
───かつて書かれた脚本と、今回は同じですか。
林 最初は原作に忠実だったのですが、やっぱりぼくは一部と二部を融合させたようと思って、一部の少年江美留と二部の青年江美留が重なり合うようなところをつけ加えました。昔の自分が今の自分に問いかけてくる感じも出したかったんですよね。ぼくは56歳になりますが、時々、16歳くらいのときに映画監督になりたいと思った自分がそばにいて、何してるんだ?とか、いい気になるなとか、問いかけられているように感じるんですよ。
───大人になっても少年の自分が顔を出す。
林 多くの大人にはほとんどいないですね。いる人もいますけど。多くは、大人である自分を肯定しますから。肯定しないと生きていけないので。生きて行くためには大人になってしまうんですね。あと、ぼくには子供がいないので、そういうところも大きいですよね。子供がいると、責任上、大人になるじゃないですか。そのために、だんだん、自分を大人にしようとしますよね。大学で教えていると、自分に子供がいなくてよかったなと思いますよ。例えば、身近に子供がいたら、子供ってこういうものだと思ってしまうけれど、いないから思わないんですよね。だから学生たちとつきあいやすい気がします。しかも、学生たちとつきあっているのは、大人のぼくじゃなくて、子供のぼくがつきあっていますから(笑)。
───現場でもいっしょに楽しみながら作った感じですか?
林 今回はほんとそうでしたね。監督だからっていうことはなくて、みんなと作った感じですね。ちょっと失敗してもいいじゃないかなっていう(笑)。
───何か失敗談は。
林 録音部がよくカメラに映っているんですよ。
───マイクが映ってしまうってことですか。
林 いえ、カラダごと。音を拾おうと一生懸命になって、前にいくんですね。これがプロの現場だと、何してんだ!って怒られるのだけれど、そんな映りたいんだったら、ブルーの全身タイツを着てくればそこは抜くからって。そこは笑ってやり過ごしました(笑)。怒鳴るよりはもう一回やりましょうと。
───これ、フィルムじゃないんですか。
林 デジタルなんです。だから何回も撮れるんです。
───フィルムだったら、何回も撮ったらフィルム代がかかって大変ですよね。
林 学生たちのいいところは、何回撮っても、いい意味で同じ芝居をするんです。まあ、それしかできないのかもしれないけれど。そのできることにおいては非常に正確なんですよ。リハーサルして一回固まった芝居に関しては、何回も再生能力があるんです。
───撮影、録音、美術などベテランのスタッフも参加していますが、学生はベテランの方達に助手としてついているのですか?
林 助手ではないですね。ぼくのスタッフが教えてはいますが、具体的にやっているのは学生です。カメラの場合、長田勇市さんがアングルをきって、撮るのは藤本啓太くんという学生です。長田さんはセンスを教えているんですね。
───ベテランと若者が混在して、面白いですね。デジタルでやろうと思われたわけは?
林 今、デジタルですよ。デジタルの白黒のほうが再現能力が高いんです。実は。前から、そう思っていて。一回やってみたかったんですよ。デジタルの白黒を。
───白と黒のコントラストがキレイでした。
林 前に、長田さんからデジタルの白黒がいいと聞いたときは、え?と疑問に思ったんですよ。まだフィルムからデジタルへの移行期でしたから。だけど確かにそうかもしれないと思って。今回、最初から白黒で撮っているんですよ。カラーを白黒にしているんじゃなくて。だからカラーに戻せないんです。デジタルだから、ちょっとカラーを入れたり音楽を抜いたり、そういうことができるんですよね。
───それで生演奏上映バージョンが可能になったのでしょうか。
林 そうです。フィルムだとできないんです。いや、できるんですけど、すごいお金がかかるんです。2回ダビングやって、2回プリント作らないといけないんで。デジタルはちょっと難しいですが、お金をかけず、簡単にイマジネーションを再現しやすいんですよ。
───一部は少年が未来に向けて想像力を羽ばたかせていく話だから、デジタル技術との親和性がありますね。
林 そうですね、なんか。ぼく自身はどちらでもいいんです、フィルムでもデジタルでも。映画が撮れれば。もちろんフィルムはフィルムの良さがありますから、油絵と水彩とどっちがいいというのと同じで、絵は絵なんですよ。
───気持ちの問題ですね。
林 こだわりは全然ないですね。最後に一回くらいフィルムで撮ってみたいと思いますけど、無理してまではやりたくないです。そもそも映画は技術革新と共に進みますから、新しい技術を嫌っていたら映画は作れないですね。編集だって今は全部コンピュータでやっていますし。
───まさに、この作品は技術革新によって作られた。
林 ただ、映画とは技術の中にあるのではない。映画的なるものは、それぞれ人間の中にあるものなんですね。デジタルであろうがフィルムであろうが、そこは変わらないんです。
(木俣冬)

後編に続く